船橋キリスト教 家庭集会         毎月第4木曜日(月1回)
新改訳聖書の解説 No.09
 2014年05月22日
神の前における良心
Tペテロ 2:18〜25
聖書箇所を用いた解説
Tペテロ2:18 しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい。 上司相性が合わない上司に従うのは、難しい。それでも、神の言葉に従がいなさい。――いやなことは、祈る。聖書を読んで、できなかったら神に助けて下さいと祈る。
Tペテロ2:19 人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。
Tペテロ2:20 罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。
良いことをしてよろこばれることです。
私たちは、神の従えない=従順=神に対する愛
Tペテロ2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。 イエス・キリストは私たちと一緒に歩いてくださる。
Tヨハネ1:8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。  
真理=基準
自分の罪が分かったとき―――キリストがゆるしてくださる。義なるキリストが自分の罪の弁護をしてほしいのなら、罪を表す。(自分がいかに、キリストに罪赦されたかを証する。自分の苦労話ではない。)
ルカ24:45 そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
ルカ24:46 こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
ルカ24:47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
ルカ24:48 あなたがたは、これらのことの証人です。

(キリストの十字架に出会うまでは、クリスチャン ライフが初まらない。自分が許された体験が、必要)
Tヨハネ1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
Tヨハネ1:10 もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちに  ありません。
Tヨハネ2:1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。
Tヨハネ2:2 この方こそ、私たちの罪のための──私たちの罪だけでなく、世全体のための──なだめの供え物です。
Tヨハネ2:3 もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。
Tヨハネ2:4 神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。
Tヨハネ2:5 しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。

神の命令=互いに愛し合いなさい。神が助けて下さるからにがかく軽くなる」。
Tペテロ2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

Tペテロ2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
人は、衝動があります、しかしキリストはない。キリストが模範です。積極的に神に任せる、と楽になる。 
 自分の力で行える時は、結果がよくない。神の力に任せると結果が良い。
 アサ王は、自分で行って、負けた。
T列王 15:18 アサは主の宮の宝物倉と王宮の宝物倉とに残っていた銀と金をことごとく取って、自分の家来たちの手に渡した。アサ王は、彼らをダマスコに住んでいたアラムの王ヘズヨンの子タブリモンの子ベン・ハダデのもとに遣わして言わせた。
U歴代 15:16 アサ王の母マアカがアシェラのために憎むべき像を造ったので、彼は王母の位から彼女を退けた。アサはその憎むべき像を切り倒し、粉々に砕いて、キデロン川で焼いた。
アサ王は、「任せることの大切さを教えている。」
 キリストに従うことによって、すべてが、許され、良くなった
パウロは、「私を見習って欲しい」=イエス・キリストを追及している姿を見習う。
Tペテロ2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

Tペテロ2:25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
◎さまよっている=自分の考えで歩んでいた。
 イエス・キリストに学ばなければ、安らぎがない。
 魂に安らぎ=キリストに従う決心が必要になります。

マタイ5:43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
マタイ5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
マタイ5:45 それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
マタイ5:46 自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。
マタイ5:47 また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。
マタイ5:48 だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。
マタイ6:14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。
マタイ6:15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。

イエス・キリストは罪赦す方。自分たちは赦したくない。神が自分の心を変えて赦すようになる。 神にこのことを含めて、祈る。キリストは、人を赦さないなら、許さない。
ルカ7:47 だから、わたしは『この女の多くの罪は赦されている』と言います。それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」
Tヨハネ5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
Tヨハネ5:4 なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
Tヨハネ3:23 神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。―――私(キリスト)が愛したように。

信仰は、勝利、重荷とはならない。
証=キリストは、私たちの罪のために、苦しみを受け。十字架に架けられ、死に渡され、三日目によみがえられたこと。
どこまで行っても、赦されたことの自覚。=互いに愛し合う。(自助努力で解決することの愚かさ)

Tヨハネ3:10 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、
Tヨハネ3:11 どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。
Tヨハネ3:12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
Tヨハネ3:13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
―――例え、キリストのようになる、十字架に従う。神に従うことは苦しみにある。死者に復活に出会う。

Tヨハネ3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
Tヨハネ3:15 ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。
Tヨハネ3:16 それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。
◎裁きについて=従順、キリストに従うようになるまで祈る。  
悔い改めるチャンスを与える、教会から出す。(救われるため) 
サタンは、キリストから離れさせる。識別が必要。コリント人への批判(ダメ出し)
Uコリント10:4 私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。
Uコリント10:5 私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、
Uコリント10:6 また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。
Uコリント10:7 あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもまたキリストに属しているということを、もう一度、自分でよく考えなさい。
Uコリント10:8 あなたがたを倒すためにではなく、立てるために主が私たちに授けられた権威については、たとい私が多少誇りすぎることがあっても、恥とはならないでしょう。
Uコリント10:9 私は手紙であなたがたをおどしているかのように見られたくありません。
Uコリント10:10 彼らは言います。「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」
◎聖書について
Uテモテ3:15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
Uテモテ3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
Uテモテ3:17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

旧約聖書は、キリストについて書かれたもの、自分の力でできると思われるとき、神の聖霊の助けを用いる。
旧約聖書を読む(みことば)ことは、神の国の広がりを学ぶことができる。

聖書のみことばをダイレクトに学ぶことは素晴らしい。
 罪責感に責められている。自分の心の不自由さ、不安の
 感謝、喜びが少ない。
ローマ3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
コロサイ1:6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。
―――こんな私に(誇れるところが何もない)、良いものを与えられる。神の前に平安が与えられる。(十字架)この福音を信じる。毎日維持する。