宣教概略
「見よ、神の小羊」
白石剛史師
イエス様とニコデモの出会いの文脈を覚えつつ、ヨハネの福音 書3章16節の意味を改めて考えてみたい。
1. ニコデモとは ニコデモは、
@パリサイ人(3:1)…信仰熱心で自分を律す る意志の強い人、
Aユダヤ人の議員(「70人議会」「サンヘドリン」の議 員)(3:1)…社会的・政治的にも信頼される人、
B老人(3:4)…経験豊 かな人、
Cイスラエルの教師(3:10)…知恵と学識のある人、
D人に左右 されない信念の人(7:45-52)、
E金持ち(19:38-39)であった。イスラエ ル人が理想とした成功者と言えよう。そんなニコデモがイエス様のところ へ夜一人で来た。まだ30歳ばかりのイエス様には神がご一緒であるとはっ
きりわかる(3:2)のに、自分にはその確信がない。どうしたら神と共に生 きる人生を歩めるのかを探求しに来たのである。
2. イエス様の答え
イエス様はニコデモに「新しく生まれなければ、神の国 を見ることはできない」と言われた。神と共に生きたければ、新しく生ま れる必要があるということである。「新しく」(アノーセン)というギリ
シャ語は、「上から」「天から」「初めから」「再び」などとも訳せる言 葉であるが、ニコデモはこれを「再び」と解釈し、「もう一度母の胎に入 って生まれよと言うのか」(3:4)と問い返している。
トンチンカンなニコ デモに、イエス様は「水と御霊によって」(3:5-8)と言い換えられた。
自分の努力や修練で「獲得する」救いから、聖霊(神)によって「与えられ る」救いへという視点の転換を求める言葉である。
3.神が人のために何をされたかを見よ
では、どのようにして救いは「与え られる」のか。それは自分を見るのではなく、神の業を見ることによってであ る。神のために何をするかではなく、人のために何をされるかを見ることが鍵
である。
イエス様は「あのモーセの蛇を見上げた人が救われたように、十字架 の人の子(イエス)を見上げるなら救われる」(3:14-15)と言われた。
3:16は これに続いて記される。まさに「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ 1:29)、
「見よ、神の小羊」(1:36)がこの3:16のエッセンスであり、自分の 熱心にばかり目が向いているパリサイ人ニコデモへのメッセージだと言える。
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