宣 教
「日ごとの糧、日ごとの信仰」
1.私たちの食生活を顧みる神
主の祈りの第一から第三の大きな願いに比べると、「日ごとの糧」に関する第四の願いは、小さな祈りに見えます。大きな祈りから小さな祈りに移る、ここにはそんなギャップがあるのですが、実はこれが、大きな神が私たちの父であるという事なのです。 天の父は、いつも私たちを気にかけています。私たちが自力で生きていると思っていても、実は天の父が食生活も含めて私たちを支えている。 それが、この第四の願いの土台にある、天の父の心です。
2.日ごとに求めるということ
イエスさまは一か月分とか、一年分という大きな安心ではなく、なぜ日ごとに糧を求めることを教えるのでしょう。日ごとの糧の祈りは、信仰とはどういうものかをよく教えてくれる祈りです。信仰とは、一日一日、新しくしていくものなのです。思い出されるのが、旧約聖書の出エジプトです。出エジプトの民が荒野を旅する中、神は、日ごとに天から「マナ」と呼ばれるパンを降らせて、人々を養ったのでした。マナは、貯めておくことができません。そのようにして神の民は、一日一日、神に信頼して生きるということを、体で覚えていったのでした。
3. 日ごとに神との交わりを確かに
だから私たちは、「日ごとの糧を、今日お与えください」と神に祈り続けます。その繰り返しの中で私たちは、「何によって生きているか」ではなく、「誰によって支えられているか」を学ぶのです。「日ごとの糧」を祈り求めながら、神さまとの掛け替えのない繋がりを体で覚えていくのです。
ハイデルベルク信仰問答125は、こうした天の父と信仰者の間にある絆を「わたしたちが、あなたこそ良きものすべての唯一の源であられること」を教えてくださいと、美しい言葉で告白しています。
私たちの命を支えているのは、食べ物でもなければ、物質やお金でもありません。生ける神ご自身が私たちを支えているのです。
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