ホーム
集会案内
牧師紹介
お役立ち

アクセス

教会沿革
2023年度   礼拝メッセージ
月日
聖書箇所

2023.08.27

白石剛史師    三本の十字架

ルカの福音書23章32-33,39-43節
  聖書のみことば (新改訳聖書2017)   メッセージ  


今週のみことば
「『どくろ』と呼ばれている場所に来ると、そこで彼らはイエスを十字架につ けた。また犯罪人たちを、一人は右に、もう一人は左に十字架につけた。」
 (ルカの福音書23章33節)

「インマヌエルなる神」 の姿を学ぶ第3回目。 第1回目には、 どんな時でも私たち に呼びかけ、問いかけ、 応答を待ってくださる姿を、 第2回目には、 私たちの悩みを 見、叫びを聞き、 痛みを知ってくださる神様の姿を学んだが、 今回は三本の十字架の 場面を通して、どんな罪人とも共にいてくださる神様の姿を学びたい。

1. 問題解決型の人々
 出エジプト記で学んだ、私たちの 「悩み、 叫び、 痛み」に寄り添ってくださる神様 の姿を示す究極がイエスの十字架である。 ゴルゴタには 「問題解決型」 の民衆 兵士 たちと、徹底的に 「苦痛からの解放」 という問題解決だけを願う犯罪人がいた。 しか し、イエスは徹底して 「共にいる」 姿勢を貫かれた。 自らも犯罪人たちも十字架から 降ろさず、 肉体的苦痛も死をも回避せず、ひたすら死にゆく者として死にゆく者に語 りかけられたのである。

2.臨在型に変えられた犯罪人
  一方そこに、 何の罪もないのに自分と同じ姿でそばにいてくださるお方としてイエ スを見出した、 もう一人の犯罪人がいた。 それによって彼は、 十字架上で苦しみ悶え ながらも、その場をパラダイスとしていただいたのである。 天国と地獄の違いとは、 時空間的な意味での場所の違いではなく、 その人の心が経 験するものの違いであるように思う。 同じ十字架上にいながら、 パラダイスの約束を 得た男と地獄の苦しみの中にいるままの男。 人は自分で自分を裁くと言われる通りで ある (ヨハネ3:17-21)。

3. 十字架の愛は今もなお ときどき、 十字架を 「過去の出来事」 「過去の愛の記録」としてしまっている場合が ある。
  「イエス様は私たちのために命懸けの愛を示してくださったのですから、 今度は 私たちが愛をもって応答する番です」 というようなメッセージは、 間違いとは言えな いが、注意しないと十字架の愛を過去のものとしてしまう危険性がある。
  私たちは神 の過去の愛への感謝と感激で今を生きることを求められているのではない。
  十字架は 今も究極の罪人とさえ共にいてくださる神を証し、 今も注がれているその神の愛を示 しているのである。
参照聖句 
ヨハネ3:17-21
3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。
3:19 そのさばきとは、光が世に来ているのに、自分の行いが悪いために、人々が光よりも闇を愛したことである。
3:20 悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。
3:21 しかし、真理を行う者は、その行いが神にあってなされたことが明らかになるように、光の方に来る。