ホーム
集会案内
牧師紹介
お役立ち

アクセス

教会沿革
2023年度   礼拝メッセージ
月日
聖書箇所

2023.10.22

 特別礼拝    稲垣博史師   この試練の中で

創世記22章1〜14節
  聖書のみことば (新改訳聖書2017)   メッセージ  


今週のみことば
「 神は仰せられた。「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい。」
創世記22章2節

宣教「この試練の中で」 創世記22章1〜22

1.神の驚くべき命令
 長い間の願いが叶って、子どもが与えられたアブラハムとサラの老夫婦に大きな試練が襲った。その子イサクを神にいけにえとして捧げよという、神の驚くべき命令である。神は残酷だ、また、そのイサクの子孫を通して全世界に祝福を与える神の約束が無効になるような自己矛盾の命令だと考え、従うことはできないと言うこともできたかもしれないが、アブラハムは、神の命令に黙々と従っている。  アブラハムの心には、聖書の神は最善のことをなさるはず、どんなに理不尽な命令でも、神はご自分の目的をもっておられるという信頼がある。  そして、確かに神は、そのような信頼を決して裏切らない。刃物をイサクめがけて振り下ろそうとしたその時、神のみ使いがストップをかけた。神はいけにえのための雄羊を別に用意してくださり、イサクの代わりにその雄羊を全焼のいけにえとしてささげることができた。そして、神はそのアブラハムの信仰に対して、アブラハムの子孫によって、世界のすべての国々が祝福されるという約束を再確認してくださった。

2.一匹の雄羊
 しかし、このアブラハムの経験した出来事は、神の私たちに対する大きな計画があることを示している。アブラハムには、一匹の雄羊が備えられ、彼はその雄羊をイサクの代わりに神にささげたが、その約2000年後、イエス・キリストというお方がそのモリヤの地で十字架に付けられ、死刑に処せられた。イエス・キリストの死も雄羊がイサクの代わりであったのと同じように、身代わりの死であった。

3.キリストはだれの代わりに死ななければならなかったのか
 では、キリストはだれの代わりに死ななければならなかったのか。私たち一人一人の代わりにである。本来なら、私たちが死ななければならなかった。聖書に「罪の報酬は死です」(ローマ6:23)とある。私たちが神から離れ、神と無関係に生きているなら、ついには、死?神と永遠に関わりが無くなる状態、神の愛も恵みも味わうことのできない状態-?を味わわなければならない。

4.私たちがいのちを得るために、神とともに生きる
 けれども、神は私たちにそのような死を味わうことを望んではおられない。私たちがいのちを得るために、神とともに生き、神の愛と恵みを味わいつつ、希望ある人生を送ることができるように、ひとり子のイエス・キリストを私たちの歴史の只中に遣わしてくださった。そしてキリストは私たちの罪の責任の全てを引き受けて死んでくださった。それが十字架の死の真相である。私たちは罪を赦され、神との豊かな交わりのうちに生きることができるのである。
参照聖句