2023年度   礼拝メッセージ
月日
聖書箇所

2023.12.31

大高伊作師  もしも主が私たちの見方でなかったなら

詩編124篇
聖書のみことば (新改訳聖書2017)   ビデオメッセージ  


「 「もしも主が私たちの味方でなかったなら。」さあイスラエルは言え。
「もしも主が私たちの味方でなかったなら人々が敵対してきたとき
詩編124篇 1、2節

2023年12月31日 説教アウトライン 詩篇124篇 『もしも主が私たちの味方でなかったなら』

1.導入:124篇について
・この歌が作られた状況や背景は分かりにくい・・・構造からして礼拝、集会で読まれている光景が想像できる (129篇参照)
・「ダビデによる」 : ダビデの体験とイスラエルの体験を考慮しつつ読んでいく
・特徴: 「もしも主が私たちの味方でなかったなら」 という想定をしていること→裏を返せば「主は私たちの味方である」ということ

2. もしも主が私たちの味方でなかったなら
・「もしも主が私たちの味方でなかったなら」
→「人々が敵対してきたとき」と「彼らの怒りが私たちに向かって燃え上がったとき」を想定
→2-5節は、敵が迫ってくる様子・・・生きたまま丸呑み: 完全な敗北
・敵が迫ってくる様子が三つの水の表現によって描写: @「大水」A「濁流」B「荒れ狂う水」
→もしも主が私たちの味方でなかったなら惨めな敗北が待っていた
・ダビデの人生は波瀾万丈・・・サウルから命を狙われ王になった後もペリシテ人をはじめ、周辺諸国からの脅威
・イスラエルも緊張状態におかれていた: 出エジプトから始まっていつも周辺諸国との緊張状態があった
→そのような緊張状態の中で「もしも主が私たちの味方でなかったなら」と考えることには一定の意味がある
→もしも主が私たちの味方でなかったなら、自分の人生はどうなっていたのだろうか
→時に、このようなあり得ない想定を通して、主の守りの素晴らしさに目を向けることは有益

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ビデオ礼拝

3. 私たちの助けは
(1) 主への賛美

・「もしも主が私たちの味方でなかったなら」 というのは架空の想定であり私たちの現実ではない: 一転して賛美へ(6節 )
・「ほむべきかな主。主は私たちを彼らの歯の餌食にされなかった。」 : 獲物のような状況
・「鳥のように私たちのたましいは 仕掛けられた罠から助け出された。」 : 鳥が狩人の罠から救い出されるイメージ
→主が偉大な御力をもって助け出してくださっ
・7節の状況からすると罠にかかることはある
(2)告白
「私たちの助けは 天地を造られた主の御名にある。」 : 121 篇2節とも重なる

3. おわりに
・ローマ書8:31-39・・・ローマ書8章に至るまで、神様がくださる恵みについて語った
→信仰に伴う恵みを語った上で、神が私たちの味方だと語った
・33節からは「だれが」 「だれが」 「だれが」 と繰り返し問いかける
・37節 「しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。」
→クリスチャンに与えられている約束
・どんなものも「私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すこと」はできない
→クリスチャンだから、いつもハッピーなことしか起こらないということではない・・・様々な葛藤、戦いがある
→日本においてクリスチャンはマイノリティ・・・ 引け目を感じ、敗北感を味わうことのほうが多いかもしれない
・しかし聖書は力強く宣言する・・・私たちは圧倒的な勝利者・イエス様も人間的に見れば敗北・・・この世的にみるならば最悪の刑罰を受けて死んでいった
→しかし、あの惨めな死から勝利され、よみがえられた
・今年教会としても大きな痛みを負った・・・しかし、忘れてはいけない! 私たちは圧倒的な勝利者
→主を信頼し、圧倒的な勝利が待っていることを心にとめたい・・・主が私たちの味方でいてくださるから
→ 「私たちの助けは 天地を造られた主の御名にある。」
・この一年を 「もしも主が私たちの味方でなかったなら」という視点で振り返ってみるのはどうか→その上で、お一人お一人の上に、また、教会の上に確かな主の守りと主の御手があったことを覚えて頂きたい
・だからこそ私たちも「私たちの助けは 天地を造られた主の御名にある。」と告白したい
主は私たちの味方 そのことに心から感謝し、この一年の主の守りを覚えて共に祈りましょう