2023年度   礼拝メッセージ
月日
聖書箇所

2024.01.28

福田崇  師     一つに集められる        

ヨハネの黙示録7章9節
聖書のみことば (新改訳聖書2017)  メッセージ  


「その後、私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。 」
   ヨハネの黙示録7章9節

  一つに集められる  黙示録7:9

 世界をどう見るか (世界観)、歴史をどう見るか(歴史観)、世界の終わりをどう見るか (終末論)は、お互いに関連しています。創造の神がおられる見方と、偶然と考える見 方では、大きな違いがあります。創造の神を認めても、その神が自分の考えを人間に 知らせていると考えるのと、創造した後に関心を持っていないと考えるのでは大きな 違いがあります。
 


ポイント1: 神さまは多様性と一致を愛する、散らされて集められる。
  聖書は知らせています。世界は偶然にできたのではなく、創造の神の意志による、と。 またこの創造の神は、続けて創造の業を続けておられる、と。神さまは天地を創造さ れました。いのちを創造されました。人間を創造されました。被造世界は、「非常に良 かった」(創世記1:31)のです。人間は神さまに背きましたが、神は赦し、被造世界の 回復に向かって歴史を導いておられます。「共通の恵み」 (共通恩恵)を被造世界、す べての人間に注ぎ、創造の業・摂理の業によって、最初のご計画のように、人間を用 いつつ、人類が世界に満ちるようにことを進めておられます。終わりの日には、その人 類の多くの人々が神のもとに帰ってきます。世界に散らされて人々が集められます。 集められるとは神さまが座る王座が中心になることです。壮大な被造世界の回復のド ラマが進行中です。 「救いの恵み」 (救済恩恵)という救いに導く神の恵みの御業も進 んでいます。神の民を生み出し、共通恩恵の御業の核として用いておられます。
  「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。・・・すべての生き物を支配せよ。」
                                                  創世記1:28  
 
文化命令といわれている使命です。神さまが、人類と共に働かれるのです。神さまは お一人でそのお仕事をされた方が、よほどスムースに行きますが、あえて、私たちを 愛するがために、私たちと一緒に働くことを選び取られました。フィリピンの結婚式で は、結婚の誓約をする新郎と新婦は、まず丸い輪を8の字に掛けられます。その上に ベールです。その状態で誓約をします。誓約は聖なるものであり破られないというこ とのシンボルです。神さまは人類と誓約されたのです。決してその約束を破らないの です。
  「神はノアとその息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。
  『生めよ。増えよ。地に満てよ。』」創世記9:1 これは人の堕落の後、ノアの洪水があり、神さまが当初の宣言を繰り返されたことで す。最初に定められた、人とともに働くことをこの時も、今にいたるまで、その約束に
神は忠実に歩んでおられます。
  「これらから島々の国民が分かれ出た。それぞれの地に、言語ごとに、その氏族にした がって、国民となった。」創世記 10:5 「彼らは言った。『さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、 名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。』創世記11:4
  「主が彼らをそこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。そこで主が全地の話しことばを混乱され、 そこから主が人々を地の前面に散らされたからである。」創世記11:8〜9

 主が意図されたようには、人は散っていきませんでした。むしろ自分たちのすごさを誇 示するタワーを建てようとしたのです。しかし、主が介入し、人々を散らされました。神 の意図は、全世界に人間が拡がり、神の被造世界の中で人間が神を賛美し、いのち を繋いでいくことでした。(資料1)
  創世記12:3 「地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」 アブラハムは信仰の父です。そこにつながるイスラエルの民も、全地への祝福となる はずでしたが、自己中心的になっていました。祝福どころか、偶像礼拝に走り、正義は 踏みにじられ、悪い王様が続き、国が滅び、バビロンに捕虜となりました。
  新約聖書の時代にも、旧約聖書のパターンを見ることができます。 「皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始め た。」使徒2:1〜13
 「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダ ヤとサマリアの諸地方に散らされた。」使徒 8:1
  「散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。」 使徒 8:4 「さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロ ス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを 語らなかった。」使徒11:19
  イエスの弟子たちも、イエスさまが「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を 宣べ伝えなさい」(マルコ 16:15) とお命じになられたのに、進んで出かけていきませ んでした。迫害により、散らされて行ったのです。旧約の民と似ています。」

 教会の歴史でも主の民は自分たちだけの居心地のよいゲットーを作り、周りの破れ た状況に無頓着・無関心です。橋を架けるのではなく、橋を落として、穴倉に閉じこも るのです。置かれている社会から切り離されている教会です。教会と社会の分離で す。旧約聖書のヨナも、主の期待しているニネべに行きませんでした。しかし「再びヨ ナに次のような主のことばがあった。」(ヨナ 3:1) とあるように、主はさらに促されまし た。使徒ペテロも、イエスさまが十字架にかけられて、逃げていきました。しかし主は、 復活の後、ペテロに現れ、「あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛してい ますか。わたしの子羊を飼いなさい。」(ヨハネ 21:19) と言われ、使命を再び与えてく ださいました。

  カトリック教会、東方教会、聖公会などは、幼児洗礼が入口です。12歳ぐらいになると 堅信礼を受けるための学びをして、堅信礼を受けます。そうすると一人前の教会員と なり、聖餐に与れるようになります。しかし、続いてイエスさまについていき、主の弟子 として生きる信者が少なく、苦労しています。福音主義の教会では、自覚的に決心・ 決断することを大事にしています。そこがスタートです。洗礼の学びをして、洗礼を受 けると教会員になり、聖餐に与れます。しかしその後が続いていません。主の弟子とし て成長することが弱くなっています。どちらにしても、主の期待からはずれています。

 それでも聖書は約束します。預言しています。 「その後、私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語からだれも数えき れないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手に なつめ椰子の枝を持っていた。」黙示録 7:9
  集められる前には散らされなければなりません。散らされるのは、神の愛、主イエスの 十字架の福音が世界に広がるためです。
 
  最終的には、黙示録 7:9 に預言されているように、集められてきます。おわりのときに、 主イエスは戦争が起こり、国が国に対立すると述べられました。平和は、多様性の中 で、異なる者たちが唯一の主を礼拝することです。主は世界中のすべての国民、民族 から神の民を呼び集めます。神の座る王座が中心になります。永遠に主とともに生き て、仕えていきます。日本伝道会議のグローバル・ナイトでアリンソッド牧師がメッセー ジで言われたように、「諸民族はイエスの栄光」です。(資料2)

  世界の空間的中心は天にある神の王座であり、時間的中心はイエス・キリストの受肉 と十字架、復活です。(山崎ランサム和彦)

世界中から神の民が集められますが、王座におられる創造の神さまであり贖いの神 さまのまわりに、取り囲むようにして集まるのです。(黙示録5:11〜14)
 神さまは、繰り返しアプローチされます。あきらめず、ご計画を進めておられます。も どしてくださるのです。回復してくださるのです。必ず刷新してくださるのです。元のス タート地点に戻された体験はありますか? 私たちが主の促しに従わないでいると、同 じ促しが時間をおいてやってきます。
  主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているので はなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべ ての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。2ペテロ3:9
 
 


ポイント1-2: 一致はイエスの受肉・十字架・復活によってもたらされた。
以上に述べてきたように、神のご計画は進んでいます。これは奥義と呼ばれています。

  エペソ1:9〜10にあります。
「この恵み(キリストにあって与えられる)を、神はあらゆる知恵と思慮をもって私たち の上にあふれさせ、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、 キリストにあって神があらかじめお立てになったみ旨にしたがい、時が満ちて計画が 実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一 つに集められることです。」
  エペソ2:11〜22に、この主張の根拠が述べられています。(異邦人とイスラエルの民) 「二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によ って滅ぼされました。」16節
  エペソ3:6 「福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、と もに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。」

  すなわち、神と人が和解し、人と人、民族と民族が和解する道が備えられました。アブ ラハムは信仰の父ですが、信仰の共同体である「イスラエル」は、イエスさまの十字架 と復活により、その後の聖霊のおいでにより、多くのイスラエル人が救われ、新しいイ エスラエルは、ユダヤ人も異邦人も加わっている一つの信仰共同体となりました。

【実に、「橋渡し」をしてくれるのがイエスです。イエスはさまざまなタイプの
人びとの派閥争いや憎しみ合いのまっただ中で十字架にかけられて殺されまし た。しかし、イエスのおもいは、あらゆるもの同士の「つながり」をもたらすこ とでした。】 キリストとともに 阿部仲麻呂着 70頁
  イエスの十字架と復活が土台です。
 
  その橋渡しは、「救いの恵み」 (救済恩恵)により、人間と神との橋渡しです。同時に民 族と民族の間、人と人との間の橋渡しです。

  人類・教会・個々の人間でも、神はあきらめず、ご自身に引き寄せておられます。私た ちの小さないのち、短い、一つの人生も、神の目には尊い存在、大切な存在です。小 さな命・人生、小さな民族、小さな国も皆尊いのです。それらが織りなされて、歴史が 前に進んでいます。

  イザヤ 43:4 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしあなたを愛している。」 1テモテ 2:4 「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおら れます。」

  神さまの壮大なご計画は、聖書に明らかにされています。来年は、聖書全巻を通読し て、今日私がお話ししたことが本当であるかどうか、確かめていただきたいです。歴 代誌や列王記を読むと、悪い王が次々にでてきます。今の世界の戦争のニュースを 聴くと、心が重くなります。しかし神さまはあきらめないことを知るのは、とても大事な ことです。歴史がゆっくり進んでいるように見えるのは、主の愛のためです

  主の前に静まる一時を持ちましょう。今までに主が促されたことで、応答していなかっ たことがなかったか、主に聞いてみましょう。父なる神は、圧倒的な寛大さを、三位一 体のみ子を世に遣わすことによってモデルを示してくださいました。私たちには、いの ち、人生、エネルギー、影響、必要な資金、スキル、能力、訓練、リーダーシップなどを 豊かに与えてくださっています。主は与えて下さっているものを、隣人に寄り添うため に、神の愛が拡がるために、人々が神さまに戻ってくるために、使うように促している はずです。それにどのように応答してきたかを振り返ってみましょう。

資料1:天地創造の壮大なイベント。
    世のいのちのために:正教会のサクラメントと信仰
    アレクサンドル・シュメーマン著 松島雄一訳 新教出版社

 しかし、既に見たように、聖書もまた、餓えた者、「彼が食べるところのもの」としての人 から始まっています。ところがその捉え方は全く異なります。聖書にはどこにも私たち にとって自明な枠組みであるこの二分法は見あたりません。聖書では、人の食物、す なわち人が生きるために関与しなければならないこの世は、神から「神との交わり」と して与えられたものです。人の食物としてのこの世は物質的な何かではなく、物質的 な機能以上のものであり、だからこそ、人が神に関係する明確に「霊的」な機能と異な るものではなく、対立するものでもありません。存在するものはすべて神の人への贈 り物です。人が神を知り得るため、また人のいのちを神との交わりにするための贈り 物です。人に食物を与えいのちを与えたのは神の愛です。神はそのお造りになったも のを何もかも祝福します。「主の恵みふかきことを味わい知れ」(詩編34:8)と聖書に あるように、神はすべてを「しるし」として、ご自身の存在と知恵、愛と啓示の手段とし てお造りになりました。

 人はいつも飢えています。しかしその飢えは神への飢えです。私たちのいのち [=生 命、生活、人生〕のあらゆる飢えの背後に神への飢えがあります。すべての欲求は最 終的には神への欲求です。たしかに人だけが飢えているのではありません。存在する すべてのものが食べることによって生きています。全被造物は食物に依存しています。 しかし、人のみが神から受け取った食物といのちを讃えるべく存在している点に、全 被造世界での人の独自の位置があります。人のみがその讃美によって神の祝福に 応えます。エデンの園で人が様々なものを名付けたことはたいへん重要です。動物た ちがアダムの助け手として創造されるや否や、神は動物たちをアダムの前に連れてき てどのように名付けるかを見守りました。「人がすべて生き物に与える名は、その名と なるのであった」 (創世記2:19)。聖書では、名前は、あるものを他のものから区別す る手段以上の決定的なものです。名前はものの本質を明らかにします。いや、むしろ 神の贈り物としての本質を示すと言った方がよいでしょう。名付けることは、神がその ものに与えた意味と価値を宣言し、それらが神に由来することを知り、神に創造され た宇宙での位置と機能を理解することです。

  あるものを名付けるとは、言いかえれば、そのものに代わり、またそのものの内に神を 讃美することです。そして、聖書では神の讃美は「宗教」的・儀式的なことではなく、ま さにいのちのあり方そのものでした。神はこの世を祝福し、人を祝福し、第七日(すな わち時)を祝福しました。これは、神は存在する一切をご自身の愛と善であふれさせ、 すべてを「はなはだよい」(創 1:31) ものとされたことを意味します。したがって、神か ら祝福され聖別されたこの世を与えられたことへの、人の自然な(「超自然」ではな い!) 応答は、今度は逆に神を讃え、感謝し、神がごらんになったようにこの世を見、 この感謝と讃美の内でこの世を知り、この世を名付け、この世を己のものとすること です。他の被造物から人を区別する理性や霊性や他のすべての諸性質は、神を讃え
る能力、人のいのちを構成する渇きと飢えの意味を知る能力の内に究極的に集約さ れ、完成に至ります。「人は知性人である(ホモ・サピエンス」、また「工作人である(ホ モ・ファーベル」・・・確かにそうでしょう、しかし何よりもまず讃美する者(ホモ・アドラン ス)です。人はまず「司祭」として定義されます。彼はこの世の中心に立ち、神を讃美し、 そして受け取ったこの世を神に献げるという両方向の行為を通じてこの世を一つにし ます。そして、この世を感謝で満たし、この世から受け取った彼自身のいのちを神の 内にあるいのちに、神との交わりに変容します。この世は「物質」として、すべてを包含 する一つの「感謝のわざ」の素材として創造されました。人はこの宇宙的な機密 [サク ラメント]の司祭なのです。
 
人はこれら一切を、たとえ理性では理解できなくとも本能的に理解しています。世俗 主義は何世紀も費やしたにもかかわらす、食べることを有機体の生理的必然性に促 された単なる実利行為に変えることに失敗してきました。食物は依然として鄭重に扱 われます。食事は今なお儀式です。家庭や友情のための、いのちのための、単なる 「飲み食い」以上の最後の「自然的な機密」です。食べることはいまだに身体の機能を 維持すること以上のものです。人々はこの「以上のもの」が何であるかを理解してい ないかも知れません、しかし、それでもなお、彼らは食事を「祝い」たいと望みます。彼 らは今なお機密的いのちに飢え渇いているのです。

  資料2:第七回日本伝道会議 Global Night における Boie Alinsod 司教の説教 諸民族は神の栄光!
  黙示録 7:9 その後、私は見た。すると見よ。Aすべての国民、部族、民族、言語から、
  @だれも数えきれないほどの大勢の群衆がB御座の前と子羊の前に立ち、C白い衣 を身にまとい、D手になつめ椰子の枝を持っていた。7:10 E彼らは大声で叫んだ。 「救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある。

  今日の聖書箇所の文脈:
  ・黙示録は二つの部分に大きく分けることができます。
  黙示録1〜3章 地上にいる神の民。
  黙示録4〜22章 天にいる神の民。
  ・朗読した黙示録7章は、二番目の部分にあります。愛する弟子のヨハネが見た幻で す。
  ・この章は、天における人口分布のスケッチです。
  ・7章1〜8節は、ユダヤ民族がフルに描かれています。
  ・7章9〜17節は、天にいる諸民族が描かれています。
  ・よみがえられたイエスは、私たちを勝利に導かれます。 1コリント 15:58 ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、 いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でな いことを知っているのですから。

  ・物語の終わりを知ると、現在のチャレンジを乗り越えることができます。
  ・大勢の群衆について、7章9節、10節にある描写を見てみましょう。
  @「数について」は、「だれにも数えられないほどの大勢の群衆」と言われています。 すべての贖われた人々のすべてがここに集まっています。 イエスさまの小さな群れが、「だれにも数えられないほどの大勢の群衆」に成長したの です。
  A「すべての国民」から。マタイ 24:14 にあるように、すべての国々が福音を聞きま した。そしてすべての「エスネー・民族」から人々が応答しました。 マタイ 24:14 御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、 それから終わりが来ます。 ・地上のすべての諸国は、神の子羊のおかげで、一つです。
  B 「その姿勢」「御座の前と子羊の座の前に立ち」 ・「立つ」ことは勝利と栄誉の姿勢です。高い、栄誉に満ちた地位です。 エペソ 6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて 堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。 ・永遠の王の前に立つことは、親しい・栄光に満ちた特権です。
  C 「その衣装」 「白い衣を身にまとい」 ・彼らは潔い、完全な、お祝いの、勝利の天的な服装を身につけています。 (ピリピ 2:15、ユダ24、コロサイ 1:22、エペソ 5:27、黙示録 3:5) ・キリストの花嫁の衣装です。 (マタイ 17:1-8、マルコ 9:2~8、ルカ9:28~36、2ペテロ 1:16~18、マルコ 16: 5、ヨハネ20:12、使徒1:12、黙示録 1:14、2:17、15:6、19:14)
  D 「そのバッジ」 「手になつめ椰子の枝を持っていた」
  ・なつめ椰子は、イスラエルのお祭りで用いられた、喜びと勝利のシンボルです。
  レビ 23:40 最初の日に、あなたがたは自分たちのために、美しい 木の実、なつめ椰 子の葉と茂った木の大枝、また川辺の柳を取り、七日間、あなたがたの神、主の前で 喜び楽しむ。
  E「その叫び声」 「彼らは大声で叫んだ。『救いは、御座に着いておられる私たちの神 と、子羊にある。』」
  ・勝利の叫び 大声で