2023年度   礼拝メッセージ
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聖書箇所

2024.02.04

稲垣博史師   主と同じかたちに変えられる      

Uコリント3:12〜18
聖書のみことば (新改訳聖書2017)  メッセージ  


「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」  
コリント人への手紙第二3章18節

 1. 覆いを外して
 モーセがシナイ山で主にお会いし、十戒が刻まれた石の板を持って山から降りて来た時、顔の肌が光を放っていたので、イスラエルの人たちは恐れて近づけなかった。それでも、モーセは主が語ってくださったことを人々に話し、話し終わった時に、顔に覆いを掛けたと記録されている。モーセが覆いを顔に掛けた理由は「消え去るものの最後をイスラエルの人々に見せない」ためだった。主とお会いした時に顔の肌が光ったとしても、それは一時的なものであり、いつかは消え去ってしまう。旧約聖書にある契約は一時的なものであり、いつか新しい完全な契約、キリストの贖いを信じることにより、完全な罪の赦し、永遠のいのち覆いただくという契約にとって代えられるものであることを示している。パウロはこの新しい契約のすばらしい知らせ、キリストの救いの喜びに覆いをかけ、隠すようなことはしないと宣言している。  当時のユダヤ人たちは毎週礼拝をしていた。旧約聖書が朗読され、解説されていたが、彼らの心には覆いがかかっており、旧約聖書が元来伝えようとしていること、すなわちキリスト、あるいはまことの救いの到来を指差していることが理解できないのである。
 私たちは先入観や偏見、生まれて以来の慣れ親しんだ考え方、価値観などの心の覆いをつけたまま生きている。聖書やキリストのことが分からないということがあるだろう。どうしたら、そのような覆いを外すことができるのか。
 14節で、「キリストによって取り除かれる」とある。16節では、「人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます」とある。今まで別の方向を向いていたのが、キリストご自身の方向に向きを変えると言うことである。

 2. 聖霊の働きによって  覆いを取り除けることができるのは、聖霊のみわざによる。私たちにとってキリストはすでに父のみもとに帰られた御方であり、直接キリストに顔を合わせることはできない。ヨハネ15、16章を読むと、この地上から去っていかれるイエス・キリストはその後、父のみもとから助け主として真理の御霊を遣わすと約束しておられる。そして「真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます」と言っておられる。今の時代に生きる私たちには、聖霊なる神が私たちの心に働いてくださり、心の覆いを取り除いてくださる。
 すると、何が起きるのか。18節にあるように、聖霊が私たちを主と同じ姿に変えられる。私たちは神の似姿に造られた。元来、神を愛し、神のみことばに従い、全世界を治め、男・女としてともに働き、愛し合い、仕えあい、神の栄光をあらわす生き方をするように神は願っておられた。だが、人はその神のご計画に反逆し、神から離れ、神の栄光をあらわすことができなくなった。そのように罪の中に生きてきた私たちだが、この世界に遣わされたキリストが、罪の中から救い出してくださったばかりか、私たちをキリストの姿に変えてくださる。キリストの品性、キリストの人に仕える姿勢、そこに私たちは神の姿を見る。御霊はそのような栄光ある姿に、私たちの修行、善行によってでなく、私たちの内側を変えてくださる。キリストを信じることによって、顔の覆いを取りのけられ、神のみことばと向き合って心砕かれつつ生き、御霊である主の働きによってそれぞれがキリストの似姿に日々変えられ続けていくものでありたい。