2023年度   礼拝メッセージ
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聖書箇所

2024.02.18

大和昌平師   あなたは私の隠れ場  

詩編32篇1〜11節
聖書のみことば (新改訳聖書2017)  メッセージ  


あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り救いの歓声で私を囲んでくださいます。
詩編32篇7節

序 詩篇32篇 「あなたは私の隠れ場」

前回に続いてダビデの悔い改めの詩を取り上げます。 遠くにいる人として見ていたダビデの人生が、他人事とは思えなくなってきました。 心に迫ってくるようになったダビデの悔い改めの詩として、今回は詩篇32篇を取り上げます。 この詩は古代教父アウグスティヌスがとりわけ愛した詩だと言われています。 1600年前北アフリカでアウグスティヌスがした詩篇 32 篇からの説教を読みながら味わっていきます

1.1〜2節
罪を覆われて、神に赦された人は幸いだ。これがこの詩の中心テーマです。 どうしてそう言えるのだろうか。私は心のどこかでずっとそう思ってきました。 人を裏切り傷つけてしまった。誰しも人生をふりかえると、そんな経験はあるでしょう。 そんな簡単に赦されて、心は晴れるのだろうか。そんな疑念が消えないのです。

2.3〜5節
昨年の夏から秋にかけて異様な暑さが続きました。この2月は4月の陽気のような日がありました。 水一滴飲めないイスラエルの荒野の酷暑が、罪を隠している人間を襲う苦しみに譬えられています。 アウグスティヌスは、自分の惨めな姿を見せられたら、隠してしまおうとするなと語りました。 露わにされたあなたの罪を神は覆い包んでくださるからだというのです。

3.6〜9節
自分の罪を抱えて自分でも自分が赦せず逃げ場のない私に、神の懐に隠れよというのです。 清く明るい心、純粋でまことの心で生きたいと日本人は古来より思ってきました。 しかし、ここにあるのは罪のゆえに砕かれて、低くされて、その罪を赦し覆われる新しい道です。 アウグスティヌスは、古代ギリシアの哲学には道徳や自分を高める教訓は語られたけれども、キリスト だけが罪を露わにされ、そして覆われて生きる、低くされる道を開いてくださいました。 神の前にへりくだる道を、キリストご自身が十字架において示してくださいました。

4.10〜11節 自分の罪ゆえの醜さを露わにされ、覆っていただいた者の心の安堵です。 憐れみ深い神がおられることを知り、その神の前で低くされた者の受ける恵みです。 私のために低くなられたキリストのそばで、心休めることを経験した者の喜びです。 自分の潔さや正しさを拠り所として生きることは、ここで返上しましょう。 神の前で低くされ、その罪を覆っていただいて、自分を責める思いかられましょう。 それはパウロの語った「新しい人として生きる」ということに繋がる人生の転換でしょう。 潔く生きたい、清廉潔白に生きたい、そんな強迫観念から解放されましょう。 そうではなくて、神の憐みによって、傷んだ私をそのまま覆っていただいて生きる。 神の憐みのゆえに、神を隠れ場として生きていきましょう。 詩32・そこに私の隠れ場



<ダビデによる。マスキール。>
32:1 幸いなことよその背きを赦され罪をおおわれた人は。
32:2 幸いなことよ主が咎をお認めにならずその霊に欺きがない人は。
32:3 私が黙っていたとき私の骨は疲れきり私は一日中うめきました。
32:4 昼も夜も御手が私の上に重くのしかかり骨の髄さえ夏の日照りで乾ききったからです。(セラ )
32:5 私は自分の罪をあなたに知らせ自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを主に告白しよう」と。するとあなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。(セラ )
32:6 それゆえ敬虔な人はみな祈ります。あなたに向かってあなたがおられるうちに。大水は濁流となっても彼のところに届きません。
32:7 あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り救いの歓声で私を囲んでくださいます。(セラ)
32:8 私はあなたが行く道であなたを教えあなたを諭そう。あなたに目を留め助言を与えよう。
32:9 あなたがたは分別のない馬やらばのようであってはならない。くつわや手綱そうした馬具で強いるのでなければそれらはあなたの近くには来ない。
32:10 悪しき者は心の痛みが多い。しかし主に信頼する者は恵みがその人を囲んでいる。
32:11 正しい者たち主を喜び楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ喜びの声をあげよ。