2024年度   礼拝メッセージ
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聖書箇所

2024.04.14

白石剛史師       神の愛こそが
2サムエル記11章1-27節
聖書のみことば (新改訳聖書2017)  メッセージ  


「神よ私をあわれんでください。あなたの恵みにしたがって。私の背きをぬぐい去ってください。あなたの豊かなあわれみによって。]
                                                    詩篇51篇1節

「神の愛こそが」  2サムエル記11章1-27節

 マタイ福音書のキリストの系図に登場する女性たちについて学ぶシリーズの最後に、 ウリヤの妻(パテ・シェパ) について考えてみたい。

  ダビデのパテ・シェパ事件の真相は何なのだろうか。 
 
一つには、ダビデによる一方 的なパテ・シェパ強姦との見方が可能である。
パテ・シェパは全くの油断によってダ ビデに沐浴を覗かれ、情欲に支配されたダビデからの呼び出しに抵抗する術もなく宮 廷入りしたところを犯され、妊娠させられ、さらに罪の隠蔽を計るダビデによって夫 を殺され、家庭を破壊され、第一子さえ神に殺された。
  ダビデは、安寧によって心が 緩み、情欲に負けて女を犯し、忠実な部下を欺いてその家庭を壊し、殺人まで犯した。
  悪いのはダビデでありバテ・シェパは被害者だ、というのがこの見方である。

 もう一方で、この事件はダビデとパテ・シェパ双方の責任だとの見方も可能である。
  バテ・シェパは祖父がダビデのアドバイザー、父と夫がダビデ三十士であった。した がって、彼女は幼い時からダビデをよく知り憧れていたはずなのであり、ダビデも彼 女をその幼少期から知っていたのである。
  実際、ダビデはその女がバテ・シェパだと 分かった上で呼び入れている。常識的に考えて、既婚女性が外から見える場所で肌を 晒し沐浴することは、まずあり得ない。バテ・シェバは戦いばかりで公優先の夫ウリ ヤとの夫婦関係に悩んでいたゆえに、ダビデを意図的に誘惑して子をもうけようと考 え、宮殿から見える場所で沐浴したのではないか。妊娠が分かった時、バテ・シェバ がそれをダビデに告げているところに、自分は殺される可能性がないことを彼女が察 知していたことが窺える。実際その読みは当たり、妊娠を告げられたダビデは、彼女 を切り捨てるのではなく、ウリヤの呼び戻しや殺害を考え実行している。
  ゆえに、こ の事件はダビデとパテ・シェパの双方に思い入れがあった結果だと思えるのである。 いずれにしても、ダビデやバテ・シェパの落ち度を指摘するのは容易である。ダビ デには安寧を手にした中での油断、王としての権威を笠に着ての姦淫と殺人、忠実な 部下を欺きその家庭を破壊しそれを隠蔽しようとしたという、幾重にも重なる罪があ る。パテ・シェパにも夫を裏切り、ダビデの欲望を利用し、姦淫の罪を隠し、愛と権力 を手にしようとした罪がある。
  しかし、聖書はそれらの罪にもかかわらず、パテ・シェパから生まれた第二子(ソ ロモン) からイエス・キリストが誕生したことを告げる。
  ダビデにはパテ・シェバ以 前に七人の妻があり、子どもも多数あったにもかかわらず、パテ・シェパとの間の子 が選ばれたのである。敢えてこの罪深さの中から生まれた子を救い主キリストの先祖 に選ぶとは、人間の常識では理屈が通らない。
  しかし、それこそ神の救いをもたらす 情熱と不思議な導きのあり方なのである。 ダビデとバテ・シェパのどちらの罪が大きいか。彼らのどういうところに気をつけ れば同じような過ちを犯さずに済むか、というような視点からの教訓話は、聖書が語 ろうとするメッセージとは思えない。聖書が語ろうとするのは、どのような人間を通 してでも救いをもたらすことのできる神の熱心と憐れみの大きさである。敢えて罪深 い系列を選ぶことで、神様は「救いは神のみから」とのメッセージを伝えておられる と感じさせられる。ダビデやバテ・シェパのように、欲によって理性が歪められ、情 に押し流されるような過ちを犯してしまう我々にとって、このダビデとバテ・シェバ を滅ぼさなかった神の姿にこそ救いの希望を見る

白石剛史師


礼拝