2024年度   礼拝メッセージ
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聖書箇所

2024.05.05

稲垣博史師   私たちは落胆しません
コリント人への手紙第二 4章16節〜5章10節
聖書のみことば (新改訳聖書2017)  メッセージ  


「「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」
                      コリント人への手紙第二 4章16節

   私たちは落胆しません   (コリント人への手紙第二 4章16節〜5章10節

稲垣博史姉
 パウロの「外なる人は衰えて」いる。地上の住まいである幕屋(肉体)は痛み、重荷を負い、苦しんでいる。 だからと言って、パウロは落胆し、この地上で生きる勇気を失ってはいない。なぜか。
  落胆しない第一の理由16節で語っているように、外なる人、からだは衰えつつあっても、内なる人、たま しいは日々新たにされつつあるからである。3章18節にあるように、日々キリストの似姿に変えられつつあるこ とを知らされているからである。
    3:18 私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、       主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

  落胆しないの第二理由は、そのようなつらい経験によって、目には見えないけれども、永遠の栄光そのもの へ自分の思いを向けさせてくれるからである。 17節で「私たちの一時の軽い患難は私たちのうちに働いて、それとは比べものにならないほど重い永遠の 栄光を、私たちにもたらす」とパウロは語る。患難そのものが永遠の栄光を直接もたらすのではない、患難に 会うことによって、将来自分にもたらされる栄光そのものに自分の思い、祈り、願いを向けさせてくれるというこ とだろう。(ストットのローマ書5章の解説参照) その「比べものにならないほど重い永遠の栄光」(17節)とはいったい何か。いつか天から与えられる住まい である決して朽ちることのない新たなからだである。パウロにとっての希望は「私たちの地上の住まいである 幕屋が壊れても、私たちには、神がくださる建物、人の手によらない」天にある永遠の住みかがあることである (5章1節)。

  落胆しない第三の理由は、そのような永遠の栄光のからだをいただくことの保証を手にしていることである。 その保証とは、御霊が自分のうちに生きて働いておられるという現実である(5章5節)。パウロは、キリストの 似姿へと一歩一歩変えられつつあることによって、御霊が確かに自分のうちにおられるという確信を得てい た。それこそ自分がいつかこの地上の肉体から離れても、天から与えられるからだをいただくことの保証なの である。私たちも御霊によって生きている。キリストを主であると告白できたこと、みことばの真理を教えられ、 みことばに従うことを願うようになったこと、また、みことばに従う力を与えられていること、愛、喜び、平安、寛 容、親切、善意、誠実、柔和、自制などの実を徐々に結びつつあること、肉の行いがどういうことかを知らされ ていること、肉の行いがどんなに主を悲しませているか、そのことを悔やむようになっていること。これらのこと を自覚しているなら、あなたの人格の中心におられ、あなたを導いておられるのは御霊なのである。 そのように、パウロはこの地上のからだが衰えつつあっても、落胆しない。パウロの希望は、5章8節にあるよ うに、主のもとで、神から与えられるからだをいただいて生きることなのだ。どんなに天からの住みかがうるわし いのか、どんなに幸いなのかと、将来への希望を痛烈に語っている。 だが、地上のからだにあって生きていようと、あるいは、神からいただくからだをもって主のもとに住むとして も、どこで生きるのかは問題ではない。私たちの最大の願いは、ただ一つ、主に喜ばれることなのである(5章 10節)。

  私たちのからだは確実に衰えていく。しかし、内なる人がいよいよ新たにされているのなら、キリストの似姿に 変えられつつあるのなら、からだの衰えは嘆く必要は無い。落胆する必要は無い。そのすべては、天からのか らだをいただく時がいよいよ近づいていることを示している。私たちは今のとき、ただひたすら主に喜ばれるこ とを求め、このからだをもって主に仕えるものでありたい。

コリント人への手紙第二 4章16節〜5章10節

4:16 ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
4:17 私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。
4:18 私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。

コリント人への手紙第二 5章1〜10節
5:1 たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。
5:2 私たちはこの幕屋にあってうめき、天から与えられる住まいを着たいと切望しています。
5:3 その幕屋を脱いだとしても、私たちは裸の状態でいることはありません。
5:4 確かにこの幕屋のうちにいる間、私たちは重荷を負ってうめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいからではありません。死ぬはずのものが、いのちによって?み込まれるために、天からの住まいを上に着たいからです。
5:5 そうなるのにふさわしく私たちを整えてくださったのは、神です。神はその保証として御霊を下さいました。
5:6 ですから、私たちはいつも心強いのです。ただし、肉体を住まいとしている間は、私たちは主から離れているということも知っています。
5:7 私たちは見えるものによらず、信仰によって歩んでいます。
5:8 私たちは心強いのですが、むしろ肉体を離れて、主のみもとに住むほうがよいと思っています。
5:9 そういうわけで、肉体を住まいとしていても、肉体を離れていても、私たちが心から願うのは、主に喜ばれることです。
5:10 私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。