2024年6月23日説教梗概
主に立ち返れ エレミヤ書3章14〜25節
1. エレミヤの先達ホセア
エレミヤの生きた紀元前7世紀から6世紀のイスラエルは、北イスラエルと南ユダに分裂して、北イ スラエルは既に北方のアッシリア帝国により滅ぼされていました。
南ユダにはしかしエルサレム神殿があり、自分たちはだいじょうぶだと慢心していましたが、新興の北 方バビロニア帝国によって滅ぼされ、捕囚の憂き目に落とされる時代でした。
そこで預言者に召された祭司の子エレミヤは、神のことばを託されて語ったのです。
エレミヤは先達があり、それは北イスラエルで預言をしたホセアです。
ホセアは実生活でも「姦淫の女ゴメル」を妻として迎え、神から他の神々に背いたイスラエルへの預言 を託されました。
「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、癒やし、 私たちを打ったが、包んでくださるからだ。」(ホセア6章1節)
エレミヤはユダ王国に対して、神に立ち返るように語り続けます。
2. 結婚の比喩
旧約聖書においては、神と民の関係が夫と妻の関係に譬えて語られることが多いです。
カナンには自然の力を神とする宗教があり、自然の実りや生殖の力を崇めることから、神殿での儀式 に性的な交わりが混入して神殿娼婦や男娼がいました。
そういう中で、結婚の聖さを語る聖書には際立った特徴がありました。
結婚において夫と妻が貞節を守り合うことが、神と人との信頼と愛の関係をもっともよく表すものとして、特にホセアやエレミヤは語りました。
これは新約聖書においては、真実な結婚の関係が今度は神と教会の関係を写し出すものとされます。 十戒の真ん中の第五戒は「父と母を歌え」であり、家庭における親と子の関係が十戒の中核に置かれているのも、
聖書の特徴です。
神と人は愛と信頼の関係の中にこそ生きるのだということが、身近な夫婦や親子の関係で語られてい ることを、預言書を読むにあたっても覚えたいと思います。
3. 神と氏の応答
エレミヤ書3章14節から25節を読みましたが、ここには背信の民への神の呼びかけと、それに応答 する神の民のことばがかけあいのように記されています。
3章14節「背信の子らよ、立ち返れ一主のことばーわたしが、あなたがたの夫であるからだ。わたしはあなたがたを、町から一人、氏族から二人選び取り、シオンに連れて来る。」
18節「その日、ユダの家はイスラエルの家に加わり、彼らはともどもに、北の国から、わたしが彼ら の先祖に受け継がせた地に帰って来る。」
この主のことばは、やがてバビロン捕囚の70年が満ちて、民たちが放国に帰って来るという主の約束 です。さらには、滅びてしまったイスラエルの家の回復も語られていますから、やがて終わりの日の完成
の様も預言されています。
雄大な語り方は預言書の特徴であり、連山のように神の預言は目の前の捕囚からの帰還を語り、同時に その向こうに神の民の究極の回復にまで及んでいます。
預言書を読む醍醐味のようなものがここにもあります。
19〜22節には、愛する民に背かれた神の悲しみが独白のように語られています。
「あなたがわたしを父と呼び、わたしに従って、もう離れないと思っていた ところが、妻が夫を裏切るように、あなたがたはわたしを裏切った。・・・・
背信の子らよ、立ち返れ。わたしがあなたがたを癒やそう。」ここには人に裏切られた神の心の痛み、嘆き、それでもなお背く人を回復させようという神の愛が語ら
れています。
信頼を裏切られた者の心の痛みとして神の愛が語られています。
そこにエレミヤ書の特徴もあり、そのようにこの預言書を読み味わっていきたいのです。
そして、22節の後半から25節にかけてが、神の訴えに対する民の応答のことばになっています。
「今、私たちはあなたのもとに参ります。あなたこそ、私たちの神、主だからです。 まことに、もろもろの丘も、山の騒ぎも、偽りでした。
確かに、私たちの神、主にイスラエルの救いがあります。」
これは悔い改めのことばです。
丘の上で行われた異教の儀礼、その不道徳な豊穣の祭りの騒ぎも偽りでした、と悔いています。あなたのもとにこそ、真実な喜びがあり、その救いを私たちは求めます。
神の憐みに満ちた呼びかけ、民が応えて、立ち返っているのです。
4. 悔い改め
マルコ1章15節「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
私たちが一人残らず、神に背を向け、神の嫌悪し、自分を、自分の夢や欲望を神として歩んできました。
悔い改めて、神に立ち返れなくてよい人は誰ひとりとしてありません。
すべての人がその人生においてしなければならないことは、神に立ち返ることです。
そして、立ち返る者はすべて神に受け入れられる、救われる。
そのために、神はご自身のひとり子のいのちを犠牲にされる。
背いた私たちではなく、愛する神の子を代わりに罰せられる。
ここに神の義と神の愛が表されるのです。
エレミヤ書は、裏切られた神の痛み、それでもなお民を愛する神の憐みを、ユダ王国の歴史に重ねなが ら語っています。
私たちはこの預言者のことばに親しみ、神の愛と真実に改めて触れていきたいものです。