|
「打ち明ける祈り」 エレミヤ書20章7〜18節
梗概
前回に続いて、テーマはエレミヤの祈り。 18章・19章から、陶器師のたとえが背景にある。
「見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたはわたしの手の中にある。」 (エレミヤ18章6節)
陶器師が自分が作った陶器を叩き壊すように、主は背信のイスラエルを叩き壊される。 そう警告の預言をしても、民は聞く耳をもたない。 そんな絶望の中での預言者エレミヤの嘆きと苦悶と祈りがほとばしり出る。
1. 打ち明ける祈り 7〜13節
母の胎内に形造る前から神はエレミヤを預言者に定めていた。 生まれながらに神に捕らえられて、神のことばを反逆の民に語り続けてきたエレミヤの思い。
主のことばを語らないと思っても、「骨の中で燃えさかる火のように、私は内にしまっておくのに耐えられま せん。もうできません。」(20章9節)
追い詰められた状況でのエレミヤが主に思いを委ねる祈りが、中心聖句としての20章12節。
「正しい者を試し、思いと心を見る万軍の主よ。あなたが彼らに復讐するのを私に見させてください。 私の訴えをあなたに打ち明けたのですから。」
エレミヤの祈りに思いを寄せたい。
エレミヤの祈りは「なぜ、私は労苦と悲しみにあうために胎を出たのか。私の一生は恥のうちに終わるのか」 と絶望の叫びで終わっているが、キリストの十字架上の祈りにつながっていく。
「そして三時に、イエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」訳すと
「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。」マルコ15章34節 神の子イエスは私たちに代わって罪人として神から見捨てられる絶望を本当に味わわれた。
神から見捨てられる呪いは、神に背を向けた罪人に向けられる。 その呪いを神の子が私に成り代わって受けてくださった。
3. まとめ
私たちも絶望としか言えないような苦境に追い込まれ、人生を呪いたくなる時がある。 エレミヤのように神に従うゆえに味わう苦難や絶望がある。
そのような時にこそ、十字架上で私たちに代わって絶望の叫びをあげられた神の子イエスを見上げたい。 私たちの絶望を一身に引き受けられた神の子イエスに感謝の祈りをささげたい。
2024年9月22日(日)
大和昌平師

|
エレミヤ書20章7〜18節
20:7 「主よ。あなたが私を惑わしたので、私はあなたに惑わされました。あなたは私をつかみ、思いのままにされました。私は一日中笑いものとなり、皆が私を嘲ります。
20:8 私は、語るたびに大声を出して『暴虐だ。暴行だ』と叫ばなければなりません。主のことばが、一日中、私への嘲りのもととなり、笑いぐさとなるのです。
20:9 私が、『主のことばは宣べ伝えない。もう御名によっては語らない』と思っても、主のことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて、燃えさかる火のようになり、私は内にしまっておくのに耐えられません。もうできません。
20:10 私が、多くの人のささやきを聞いたからです。『「恐怖が取り囲んでいる」と告げよ。われわれも彼に告げたいのだ』と。私の親しい者もみな、私がつまずくのを待ちかまえています。『たぶん彼は惑わされるから、われわれは彼に勝って、復讐できるだろう』と。
20:11 しかし、主は私とともにいて、荒々しい勇士のようです。ですから、私を迫害する者たちはつまずき、勝つことができません。彼らは成功しないので、大いに恥をかき、忘れられることのない永久の恥となります。
20:12 正しい者を試し、思いと心を見る万軍の主よ。あなたが彼らに復讐するのを私に見させてください。私の訴えをあなたに打ち明けたのですから。」
20:13 主に向かって歌い、主をほめたたえよ。主が貧しい者のいのちを、悪を行う者どもの手から救い出されたからだ。
20:14 「私の生まれた日は、のろわれよ。母が私を産んだその日は、祝福されるな。
20:15 のろわれよ。私の父に、『男の子が生まれた』と知らせて、大いに喜ばせた人は。
20:16 その人は、主があわれみもなく打ち倒す町々のようになれ。朝には彼に悲鳴を聞かせ、真昼には、ときの声を聞かせよ。
20:17 彼は、私が胎内にいるときに私を殺さず、母を私の墓とせず、その胎を、永久に身ごもったままにしなかったからだ。
20:18 なぜ、私は労苦と悲しみにあうために胎を出たのか。私の一生は恥のうちに終わるのか。」
|