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「自ら聞くことで」 ヨハネの福音書4章39-42節
対話の中にキリストとの出会いを経験したサマリアの女によって、今度はスカルの 町の人々が導かれるが、その様子を見ると、人がイエスを信じるには二つの段階があ
ることがわかる。第一は誰かの証しを聞く段階。第二は自分自身でイエスを知り、信 仰を深めていく段階である。今回はそのスカルの町の人々が導かれていく様子から、
キリスト・イエスを信じるに至る者の特徴について考えてみたい。
1. 誰かの証しを聞く 人がイエスを信じるにはまず誰かの証しを聞く段階がある。共観福音書ではイエス の招きによって弟子たちが集められた様子が語られるが、ヨハネ福音書は証しによる
イエスとの出会いを語る点で特徴的である。それはバプテスマのヨハネの「見よ、神 の子羊」という証しに始まり、アンデレ、ペテロ、ピリボ、ナタナエルと続いていく
(1:36-46). スカルの町の人々は、今まで人々から隠れるようにして生きてきた女が、突然自分 から駆け込み、キリストとの出会いを大胆に語り始めたことで、「これは只事ではない」
と直感したのであろう。サマリア人が真昼間に2キロも歩いてユダヤ人の男に会いに 来た。 サマリアの女が言ったことは三つだった。
1)「来て、見てください」との誘い。
2) 「私のしたこと全部を私に言った人がいる」という誘いの理由。
3)「この方がキリス トなのでしょうか」
という問題意識の提示である。彼女は情熱的ではあったが、決し て押し付けがましくなかった。罪深い自分をそのまま受け入れてくださるお方の愛と
の出会いを、自分の体験を踏まえて語ったのであった。イエスを紹介するとは、単に 顔と名前を知らせることではない。イエスに示された神の愛を知らせることである。
今の私たちも誰かの証しを通してイエスを信じるようになったのではないか。聖書 を一人で読むことで信仰に導かれる可能性もあるが、その場合でさえ、新約聖書その
ものが弟子たちによる証しなのであるから、やはり証しを通してという点では同じで ある。そして、私たちも誰かに対して神の愛の証し人となるのである。
2. 自分たちでやって来る スカルの人々は、女の証しを聞いて自分たちで確かめにやって来た。そして自分の 目で見てイエスをキリストと信じ、自分たちのところに泊まってくれるように願った。
「付き合いをしない」という一般のユダヤ人とサマリア人の敵対関係からして、まっ たく考えられないことである。イエスもそれに応えて二日間も滞在された。
一緒に寝泊まりすることは、ラビから真剣に学ぶ姿勢を意味するものとしてヨハネ 福音書ではすでに紹介済みである (1:37-39)。
アンデレたちがそうであったように、 スカルの人々もイエスとじっくり交わり、学びをすることで、正しいキリストの意味 を聞かされたのであろう。もはやサマリアの女を通してではなく、直接自分で聞いて
信じたことを告白したのであった (4:42)。
信仰は人真似ではない。アート作家が自分の作品を作るように、最初は基本技術や 模範を学ぶことから始めても、やがては自分自身のオリジナルな作品を創らなければ
ならない。
信仰は教科書的な追従ではなく、自分独自のオリジナルなものであること を忘れず大切にしたいと思う。
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ヨハネの福音書4章39〜42節
4:39 さて、その町の多くのサマリア人が、「あの方は、私がしたことをすべて私に話した」と証言した女のことばによって、イエスを信じた。
4:40 それで、サマリア人たちはイエスのところに来て、自分たちのところに滞在してほしいと願った。そこでイエスは、二日間そこに滞在された。
4:41 そして、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。
4:42 彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方が本当に世の救い主だと分かったのです。」
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