2024年度   礼拝メッセージ
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聖書箇所

2024.11.03

稲垣博史師師  キリストの貧しさ・私たちの豊かさ
コリント人への手紙第二8章1〜15節
聖書のみことば (新改訳聖書2017)  メッセージ  


「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」

    コリント人への手紙第二8章9節

キリストの貧しさ・私たちの豊かさ(第二コリント8章1〜15節)

  当時マケドニア地方の教会は「極度の貧しさ」の状況にあったが、他の教会を喜んで援助していた(1~5節)。 そのマケドニア地方の教会の姿にパウロはたいへん感動し、そして、そのことをコリント教会の兄弟姉妹にも伝え ている。コリント教会の兄弟姉妹も、マケドニアの諸教会と同じように、エルサレム教会援助計画に参加していた が、どういうわけか、それがなかなか進まない様子であることをパウロは知って、コリント教会を訪れることになって いたテトスに、その活動を最後までやり遂げることを助言するように依頼した。援助協力の働きを最後までやり遂 げるようにと勧めているのが今日の個所である。 この個所から、私たちは四つのことを学ぶことができる。

(1)私たちにとってお金とは何か、ということ
  日本人は、金というものが何か汚いもので、霊的なことではないように考える人たちがいる。だが本来お金自体 は中立的なものである。パウロは、与えられた金銭を神に喜ばれるように用いることは、「恵みのわざ」なのだと言 っている(6節)。私たちは、献金のこと、教会会計のことを、霊的なこととして受け止め、そのことについて、神の祝 福を求めていくことが必要である。

(2) 教会での献金とは何かということ
  献金は御賽銭ではない。自分の犯した罪を帳消しにするものでも、「無病息災、家内安全」を神からいただくとい う保証でもない。マケドニアの諸教会の人たちは、聖徒たちのための奉仕の恵みと交わり (コイノニア)を求めた。 つまり、献金とは、具体的な必要のためにしもべとして仕えることであり、また、その必要に応ずることを通して、交 わりの恵みに参加することである。

(3)私たちがいただく恵みの一番基礎に、キリストご自身が貧しくなられたという事実がある
 キリストは、神のひとり子としての豊かさを特権としてお持ちであり、全宇宙の創造主、支配者、王としての特別 な立場にあるお方である。そのひとり子が神のひとり子としての特権をすべて捨てて、私たち罪人のためにしもべ として仕えられた。その貧しさの頂点は、十字架である。私たち人類のすべての罪の責任をすべて引き受けて、 神の胴を受けておられる。

(4) キリストが貧しくなられたのは、私たちが豊かになるためである
  人間は本質的に、神の前に貧しい存在である。しかし、キリストのご介入のゆえに私たちは豊かにされている。罪 赦され、神との正しい関係に入れられ、神の子どもとされ、永遠のいのちをいただくという豊かさ、日々、主との愛 の交わりに生きることができるという豊かさをいただいている。 マケドニアの教会はその豊かさを心から受けとめ、自分自身を主にささげた。さらにその恵みをどのように感謝 するべきかを考え、助けを必要としている人々の状況を知って、強制されたからでもなく、義務感からでもなく、進 んで、喜んで、協力したのである。

終わりに
  私たちもキリストの貧しさによって、本当に豊かにされている。その恵みに対してどのように応答するか が、問われている。 主に自分自身を捧げることこそ、主が喜ばれる応答である (5)。
 自分の生涯、自分のいのち、自分の全存在 は、主におまかせします、という決断である。そして、必要がどこにあるかを知り、喜んで協力することである。

コロサイ2:14
2:14 私たちに不利な、様々な規定で私たちを責め立てている債務証書を無効にし、それを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。

コリント人への手紙第二8章1〜15節
8:1 さて、兄弟たち。私たちは、マケドニアの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。
8:2 彼らの満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました。
8:3 私は証しします。彼らは自ら進んで、力に応じて、また力以上に献げ、
8:4 聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと、大変な熱意をもって私たちに懇願しました。
8:5 そして、私たちの期待以上に、神のみこころにしたがって、まず自分自身を主に献げ、私たちにも委ねてくれました。
8:6 それで私たちは、テトスがこの恵みのわざをあなたがたの間で始めたからには、それを成し遂げるようにと、彼に勧めました。
8:7 あなたがたはすべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、私たちからあなたがたが受けた愛にもあふれています。そのように、この恵みのわざにもあふれるようになってください。
8:8 私は命令として言っているのではありません。ただ、他の人々の熱心さを伝えることで、あなたがたの愛が本物であることを確かめようとしているのです。
8:9 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
8:10 この献金のことについて、私の意見を述べましょう。それがあなたがたの益になるからです。あなたがたは献金を実行することだけでなく、その志を持つことも、昨年から始めて他に先んじていました。
8:11 ですから今、それをやり遂げなさい。喜んでしようと思ったとおりに、持っているものでやり遂げてください。
8:12 喜んでする思いがあるなら、持っていないものに応じてではなく、持っているものに応じて受け入れられるのです。
8:13 私は、他の人々には楽をさせ、あなたがたには苦労をさせようとしているのではなく、むしろ平等になるように図っています。
8:14 今あなたがたのゆとりが彼らの不足を補うことは、いずれ彼らのゆとりがあなたがたの不足を補うことになり、そのようにして平等になるのです。
8:15 「たくさん集めた人にも余ることはなく、少しだけ集めた人にも足りないことはなかった」と書いてあるとおりです。

2024年11月3日 稲垣博史師 礼拝