2024年度   礼拝メッセージ
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聖書箇所

2024.11.10

白石剛史師  恵を届けに
ヨハネの福音書5章1〜9節
聖書のみことば (新改訳聖書2017)  メッセージ  


「5:5 そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。
5:6 イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」
 ヨハネの福音書5章5,6節

ヨハネ福音書5章1-9節 「恵みを届けに」  
 ◎白石剛史作成の原稿を信徒による代読しました。
序。
  「キリストとしてのイエスとの出会いによって人は救われる」と告げ知らせるヨハネ 福音書は、ニコデモ (3章) サマリアの女 (4章) に続き、ベテスダ池のほとりで38 年もの間伏せっていた男とイエスとの出会い (5章)を記す。今回から3回に分けて、 この男とイエスとの出会いを味わってみたい。

  1. 病の癒しが救いなのではない
  38年も歩けなかった男が癒される今回のような箇所を読むと、「イエスを信じれば病 気が治る」と教えられているかのように感じるが、聖書はそのような意図でこの出来 事を記しているのではない。イエスは病気治癒の薬草や呪文を教えたり、癒し集会を 催したりしなかったからである。まことの救いはそれらとイコールではないことが忘 れられてはならない。

  2. 神様の方から近づかれる
  この男は 38 年間礼拝出席できなかった。重い病の者は神殿や会堂に入ることを禁じ られていたからである。そのような男の孤独と苦しみをイエスはご存知で、その気持 ちを分かち合うために、ご自身で訪ねて行かれた。病気になったり様々な悩みを抱え たりすると教会に行きづらくなり、自分を責める思いになりがちだが、イエスはその ような者に「自分を責める必要はない。わたしがあなたのところを訪ねるから」と言 われるだろう。

  3. 「38年」とは
  聖書は 38 というとても具体的な数字を記す。これは明らかに当事者の視点だと言え よう。第三者は「約40年」などと言うかもしれないが、当事者はその悪しき出来事 がいつどのように自分を襲ったかを克明に覚えているものである。神がいかにこのべ テスダ池の男の悲惨さにずっと目を注いでくださったかが示される。病気が治る治ら ない以前に、まずこの神の姿勢に気づいておきたい。病気の解決を焦点とするなら、 また病気になった時に治癒者を探し求めるだけである。しかし、どんな状況の中にあ っても神は私の悩み・痛みに目を注ぎ、ご自身の方から恵みを届けようとしていてく ださる方であると気づくなら、生きる姿勢が変わってくる。イエスはまことの神がそ のようなお方であることを示し、目の付け所の転換をもたらす方である。



  恵を届けに       ヨハネの福音書5章1〜10節

5:1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があり、五つの回廊がついていた。
5:3 その中には、病人、目の見えない人、足の不自由な人、からだに麻痺のある人たちが大勢、横になっていた。
5:4 【本節欠如】
5:5 そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。
5:6 イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」
5:7 病人は答えた。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」
5:8 イエスは彼に言われた。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」
5:9 すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。
5:10 そこでユダヤ人たちは、その癒やされた人に、「今日は安息日だ。床を取り上げることは許されていない」と言った。