要約 2025年1月12日 白石剛史師
ベテスダの池のほとりで38年間病に臥せる男をイエス様が訪ねる場面から、2回 目の学びをしましょう。今回はこの箇所の話の展開に不自然な点が多いことを手掛か
りに、イエス様がこの男に何を与えられたのかを学びたいと思います。
1. 話の展開の不自然さ
この出来事には、1)38年も病に苦しむ男にイエス様が「よくなりたいか」と非常 識な質問をされたこと。2) イエス様の質問に男がまっすぐに答えず、自分を池に投
げ込んでくれる人がいないと言ったこと。3) イエス様が投げ込んでやるのかと思え ば、自分で歩けと言ったこと。4)男は「からかうのか!」と怒るどころか、実際に歩
き始めたことなどの不自然な展開が見られます。 この不自然な出来事を通して、聖書は私たちに何を教えようとしているのでしょう か。鍵となるのは、この男の「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入
れてくれる人がいません。行きかけると、もう他の人が先に降りて行くのです」 (5:7) という言葉にあると思うのです。
2. この男の思考パターン
5章7節の言葉から、私は次のようなこの男の思考パターンを見出します。
1) いつまでも良くならない現状の中に置かれたことによって、いつしか「よくな りたい」という自分の欲求を忘れてしまい、「よくなるかならないか」にばかり目が向
いてしまう傾向。
2) よくなること (目標) と水に飛び込むこと (手段)とが混同され、手段や方法 において視野が狭くなってしまう傾向。
3) 環境を愚痴ることで、よくなりたい欲求を封じ込めてしまう傾向。
3. イエス様の意図
こういう思考パターンのこの男に向かって、イエス様が「よくなりたいか」と敢え て聞かれたことを考えますと、イエス様はこの男に「よくなりたい」という自分の欲
求を改めて確認させ、「よくなろう」とする意志を働かせて行動することを促そうとさ れたのではないでしょうか。
4. 私たちへのチャレンジ
この当時は、慢性の病気であるというだけで神から呪われた者とみなされ、人間扱 いされない時代でした。それゆえにイエス様の「よくなりたいか」という質問は、「人
間回復したいか」「幸せになりたいか」「満たされたいか」「救われたいか」という質問 と同義だと言えますし、その意味で今の私たちへのイエス様からの問いでもあると言
えるでしょう。
私たちは「幸せになりたいか」と聞かれるとどう答えるでしょうか。「当たり前です。 でも私には学歴がないんです」と言うだろうか。「私には手助けしてくれる人がいない
んです」「お金がないんです」「人脈がないんです」と言うでしょうか。幸せになる方 法は他にもあるにも関わらず、学歴・家庭環境・自分の能力・コネ・お金などと結び付
けてしまうのではないかとも思います。
神様の目から見て本当に大事なことは、私たち自身が深いところで「救われたい」
「幸せになりたい」と思っているかどうか。自分で「起きて、床を取り上げて歩もう とするか」どうかなのだと思わされるのです。 鍵は自分自身の中にあること。結局はそこだということを、イエス様の問いかけを
自分への声として聞いて、しっかり自分を見つめたいと思います。イエス様は私たち に本当に幸せになって欲しいのです。
と同義だと言えますし、その意味で今の私たちへのイエス様からの問いでもあると言 えるでしょう。
私たちは「幸せになりたいか」と聞かれるとどう答えるでしょうか。「当たり前です。 でも私には学歴がないんです」と言うだろうか。「私には手助けしてくれる人がいない
んです」「お金がないんです」「人脈がないんです」と言うでしょうか。幸せになる方 法は他にもあるにも関わらず、学歴・家庭環境・自分の能力・コネ・お金などと結び付
けてしまうのではないかとも思います。 神様の目から見て本当に大事なことは、私たち自身が深いところで「救われたい」
「幸せになりたい」と思っているかどうか。自分で「起きて、床を取り上げて歩もう とするか」どうかなのだと思わされるのです。
鍵は自分自身の中にあること。結局はそこだということを、イエス様の問いかけを 自分への声として聞いて、しっかり自分を見つめたいと思います。イエス様は私たち
に本当に幸せになって欲しいのです。
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ヨハネの福音書5章1〜9節
5:1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があり、五つの回廊がついていた。
5:3 その中には、病人、目の見えない人、足の不自由な人、からだに麻痺のある人たちが大勢、横になっていた。
5:4 【本節欠如】
5:5 そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。
5:6 イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」
5:7 病人は答えた。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」
5:8 イエスは彼に言われた。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」
5:9 すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。
2025年1月12日 白石剛史師


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