「誇り高く生きる」 コリント人への第二の手紙10章1〜18節
教会の中で互いの間に色々な摩擦や問題が起きることはある。コリント教会にはパウロに対して批判的な人たちがいて、パウロは悩んでいたことが分かる。
A. なぜ問題が起きるのか
(1)外見で判断する(2節)
パウロに反対する人たちに対し、パウロは「あなたがたは、うわべのことだけを見ている(7)」と語る。私たちは、本当にその人と交わり、話し合ってその人を理解しようとしているだろうか。
(2)高ぶる(5節)
私たちは他の人が高慢であるということはすぐ感じるが、自分も同じであることに気がつかない。自分が何か人よりも優れ、人を支配する力があるように考えると、自分に都合の良いように計画を立て、人を利用しようとする。そその高ぶりの原因は「神の知識に逆らって立つ」というところにあるとパウロは言う。神を知っていると言いながら、現実的には神のみこころを無視し、自分の思い、計画を優先する姿勢がそこにある。
(3)互いに主の民であることを忘れる(7節)
私たちの間に問題が生じるとき、私たちは相手も同じ主の民であること、主の哀れみと恵みによって、罪から救われ、同じ御国の世継ぎとされていることを忘れやすい。同じ罪人であるが、同じ主によって救い出された者であるという認識が、私たちをへりくだらせ、たがいを認め、ともに生きることを可能にする。
(4)自分を誇る(12節)
私たちは、いつの間にか自分が何者であるかのように誇り、高慢な態度が知らずのうちに生まれてくる。パウロは他の人の態度に、自分の弱さを見いだしていたのだろう。
B. 祝福された関係を築くために
(1)キリストの柔和と優しさを求める(1節)
私たちの模範は「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負つて、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます」(マタイ11:29)と言われるキリストご自身である。
(2)互いにキリストに属する者であることを感謝し、ともに喜ぶ(7節)。
私たちはこの世に 贖い出され、キリストのご支配に移された。だが、それは私だけのものではない。キリストに属する人たちが大勢いる。それぞれ個性が違い、考え方も違うかもしれないが、同じ父を持つ一つの家族のメンバーである。お互いに受け入れ、喜び、感謝することができるはずだ。
(3)主にあって誇る(17節)
神が人を神のかたちに似せて創つてくださったとは何と誇るべきことか。他の人たちも同じように神によって創造されたゆえに、その人格を尊重するというあり方につながっていく。また、この世界を神のみこころに従って管理することを委ねられたということも私たちの誇りである。。さらに、神は私たちに十戒を基本とする道徳律を与えられた。それに従って生きる時に、人間は自分を誇りに思うことができる。誇り高く生きるということは、クリスチャンにとって求めるべき生き方である。「誇る者は、主にあって誇れ」ということばはまさにパウロの心からの確信なのである。私たちは、キリストのものとされたことを高く誇っているだろうか。キリストの柔和さと寛容を求めて生きているだろうか。ともに、キリストを誇り、キリストにあって気高い生を送りたい。