「死からいのちへ」ヨハネ福音書5章15-24節
「水が動いた直後に一番に飛び込めば病気が治る」という伝説に淡い希望を抱くしかないほどの重病人たちが集まるベテスダ池の周りで、38年もの間伏せっていた男をイエス様が癒された記事から続けて学んでいますが、今回はその最後として、イエス様がその癒しを敢えて安息日に行われた点に目を向けてみます。
安息日におけるイエス様の癒しは、この時だけのことではありませんでした。16節の言葉使いに見られるように、それは何度も行われたのです。律法の尊厳を大切にされたイエス様がそのような行為をなされたからには、安息日とはどういう日であるかを教えようとする意図があったことが容易に想像できます。今回は安息日の意義についてのイエス様のメッセージ内容を考えてみたいと思います。
1.敢えて安息日に
17節でイエス様は、「わたしの父は今にいたるまで働いている」ことを理由に、自分も働いているのだとおっしゃっています。ここでの父なる神の「働き」とは何でしょうか。「安息日には何の仕事もするな」とおっしゃった神様ご自身が働いているとは、
自己矛盾だと思えてしまいますが、出エジプト記によれば安息日規定は創造のわざにおける休息を起源としていますから (20:8-11)、そこでの「安息」は決して「何もするな」という意味でないことは明らかです。ユダヤ人たちもそのことはわかっていたので、様々な議論をして、安息日にして良いこととしてはいけないことを区別して来ました。ところが、行為の可・不可にばかり目が奪われるあまり、安息日が何の目的で与えられたのか、すなわち安息日の本質的意義は見失ってしまったのです。
2. 神様がなさって来たこと
創造の時以来、神様が営々となさって来たことを、イエス様は話されますが (19-24節)、特に大切なのは21節と24節です。人の魂を死からいのちへ移すこと。いのちを守ること。それが父なる神様のなさって来たことだと言うのです。ということは、安息日において最も大切なことは、人の魂にいのちを与えてくださる神様のわざに与ることでしょう。
3.7日目の祝福と聖別
神様は創造のわざの最後に設けた安息の日を「祝福し、聖なるものとされた」と創世記は語ります (2:3)。それは7日目だけ日が長くなるとか、特に明るいというような物質的な特別性ではありません。神様が何かを祝福されるとおっしゃる時、聖書で
はそれを用いる人間に豊かな祝福が臨むことが意味されているのです。また「聖とす 」とは「区別して特別なものとする」という意味があります。ですから安息日とは、
1日で太陽や月・星を造ることのできる神様、1日で陸と海を造ることのできる神様が、7日目だけは何もしないで、人間に豊かな祝福を与えようと特別に取り分けていてくださる日だということです。
4. 「死からいのちへ」とは
23節のイエス様の言葉を読めば、「死からいのちへ」とは「父を敬うように子を敬う人間になること」ですし、24節によれば「イエス様の言葉を聞いて父なる神を信じること」と言えます。ですから、身体が治るかどうかが重要なことではないのです。
この場面でイエス様が敢えて病気を治されたのは、「死からいのちへ」の転換こそが安息日の主題であることを人々の目と心に焼き付けるためだったと言えるでしょう。
律法学者・パリサイ人が「して良いことといけないこと」という視点からばかり安息日を考え、その日に最も大切にしなければならない「いのち」に目を注ぐことを忘れてしまっていたことに、イエス様は痛烈な非難を浴びせているとも言えます。
律法学者・パリサイ人たちのように考えるなら、今日の私たちが週の最初の日に安息を守っているのはおかしなことになってしまいます。「死からいのちへ」の転換を大切にし、七日のうち一日を取り分けてその祝福を与えようと待っていてくださる神様の姿勢こそが尊いのです。
今日のクリスチャンにとっての安息日(主の日)が、本当にいのちを得る日となっているか。もう一度確認してみたいものです。
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ヨハネの福音書5章15〜24節
5:15 その人は行って、ユダヤ人たちに、自分を治してくれたのはイエスだと伝えた。
5:16 そのためユダヤ人たちは、イエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。
5:17 イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。それでわたしも働いているのです。」
5:18 そのためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っていただけでなく、神をご自分の父と呼び、ご自分を神と等しくされたからである。
5:19 イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分から何も行うことはできません。すべて父がなさることを、子も同様に行うのです。
5:20 それは、父が子を愛し、ご自分がすることをすべて、子にお示しになるからです。また、これよりも大きなわざを子にお示しになるので、あなたがたは驚くことになります。
5:21 父が死人をよみがえらせ、いのちを与えられるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。
5:22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子に委ねられました。
5:23 それは、すべての人が、父を敬うのと同じように、子を敬うようになるためです。子を敬わない者は、子を遣わされた父も敬いません。
5:24 まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。
2025年3月9日(土) 白石剛史師


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