今はそうさせてほしい ( マタイの福音書3章1〜17節)
序
「彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。」(エレミヤ32章38セル)
預言者たちの預言はイエス・キリストの誕生によって現実となった。 その視点で、マタイの福音書を読んでいきたい。
1. イエス・キリストの系図
「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」 神が選ばれたイスラエル民族の本流をなす血筋が、イスラエルの歴史の中にその直系が脈打ち、 キリストと呼ばれるイエスは生まれた。
4人の女の名が刻まれる。遊女に身をやつし舅を騙して子をなすタマル、職業的売春婦ラハブ、イスラエルにとっては異邦人ルツ、ダビデ王がかどわかす勇将ウリヤの妻(バテシェバ)。
歴史を見据えるなら、男の欲望・醜聞、犠牲となる女というおぞましい現実から目を避けられない。
2. ヘロデ王の毒牙
ヘロデ王が治めているユダヤにイエスが生まれた時、東方の博士たちが「ユダヤ人の王」の誕生を祝うために訪ねると、警戒心をあらわにする権力者ヘロデ。
ベツレヘム周辺の2歳以下の男の子を皆殺しにする残虐を行ったヘロデ王。
この世は最初から、この方(キリスト)を嫌い、殺そうとした記録。
3. バプテスマのヨハネ
荒野で「悔い改めなさい。天の御国は近づいたから。」と叫ぶ野人ヨハネが現れ、衝撃を与える。 荒野は人間的な安楽を廃した場で、神のことばを聴くところという伝統の場所。
荒野で神に立ち返るよう悔い改めを叫んだのは預言者たちの姿であり、バプテスマのヨハネはこの預言者の伝統に立ち、ある意味で預言者の全体を背負うように荒野に登場した。
預言者の声に神の声を聴いた人々は、悔い改めを表わすバプテスマを受けるために出てくる。 パリサイ人やパリサイ人が真実の悔い改めの心もなく受けに来るのを一刀両断するヨハネ
。
4.ヨハネから受洗するイエス
ヨハネは自分は「私の後に来られる方」の奴隷にもなれない、「聖霊と火でバプテスマを授けられる」力ある方がいよいよ来られるのだと、ひたすらイエスを指さした。
すると、ヨハネのところにイエスが来られる。ヨハネは自分にその資格はないと断るのだが、
「今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」と言われ、ヨハネはイエスに授洗する。
神と民が完全に一つになるという約束は、ヨハネにおいても実現はしていない。
「今はそうさせてほしい」と言われたイエスにおいて神と民は完全に一つとなった。
その姿を十字架の死と復活まで、目撃証言者としてマタイは福音書に記していく。
私たちはこの方に会ってはいないが、その証言によってこの方を知り、信じ、愛している。