2025年度   礼拝メッセージ
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宣教題
聖書箇所
2025.05.18
稲垣博史師
わたしの恵は十分である
 コリント人への手紙第二12章1〜13節

聖書のみことば (新改訳聖書2017)  メッセージ  

「しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」
コリント人への手紙第二12章9節

わたしの恵みは十分である(コリント人への第二の手紙12 章1〜13節)

1 誇らずにはいられない体験
  パウロは「14年前に第三の天にまで引き上げられ、口に言い表せない、人間が語ってはならない ことばを聞いた」(2?4)という自身の体験を第三者の体験のように語っている。 「第三の天」とは、ユダヤ人が天を三つの段階に分類していたことによると考えられる。第一の天 は、この大気圏。第二の天は、天体(星など)の存在する領域、そして、第三の天は、神がおられる 霊的な領域だとされている。パウロはこの第三の天に上げられたということのようだ。主イエスは 十字架にかけられていた強盗に「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいます」と言われた が、そのパラダイスのことだろう。実際にこの経験がいったいどういうことなのか、よくわからない が、そのような大きな経験をした人間は他人からもすごい人だと言われ、自分もそれを自慢し、高 慢になり、見下げるようになるという弱さを持っている。

2 肉体のとげ
  しかし、パウロは、自分のからだに一つのとげが与えられた、と7節で述べる。とげは人の肌をちく りと刺し、痛みを与えるが、自分が何かを自慢し、自分は人よりも優れた人間なのだという思いがむ くむくと頭をもたげると、自分の良心をそのとげがちくりと一刺しするということだろう。その 「とげ」がいったい何なのか、よく分からないが、目の病気であったのではないか(ガラテヤ人 の手紙4 : 14、15)。

3 3度の祈りへの答え:「わたしの恵みは十分である」
  パウロは三度、このとげが取り去られるように主に祈った(8)。大きな痛み、苦しみが三度襲っ た、その度ごとに主に癒しを求めて集中して祈った、ということかもしれない。 そのパウロの切実な祈りに対しての神さまの答は、9節にあるように、「わたしの恵みはあなたに十 分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」だった。  「主の恵みは十分である」は、現在時制で記されている。とげは、依然としてパウロのからだにつ き刺さり、痛みをもたらし、苦しみをもたらしている。だが、恵みもまた、依然として変わらずに パウロに注がれている。身体的、精神的、霊的に自分の弱さを知らされた者が、恵み深い主の前に出 るとき、心潤され、元気が与えられ、生きる意欲が生まれてくる。

終わりに
  私たちもなかなか解決しない問題を抱えている。主に、取り去ってくださいと願っても、つらい状 況がそのまま続くと、私たちは神の愛を疑い不安になる。だが、私たちは、そのようなとげをいただ くことを通して、主の前に謙遜にさせられる。自分がまさに土の器であること、主の前におごり高ぶることな く、「私の恵みは十分である」と言われる主にゆだねて生きること以上に、私たちにできることはな い。どんなことがあっても、「私はあなたを見放さず、あなたを見捨てない」という主の恵み深い約束を握 り締めて生きることができる。弱さの中で主の恵みの豊かさを受け止める時に、主の力がフルに現れる。

  コリント人への手紙第二12章1〜13節

12:1 私は誇らずにはいられません。誇っても無益ですが、主の幻と啓示の話に入りましょう。
12:2 私はキリストにある一人の人を知っています。この人は十四年前に、第三の天にまで引き上げられました。肉体のままであったのか、私は知りません。肉体を離れてであったのか、それも知りません。神がご存じです。
12:3 私はこのような人を知っています。肉体のままであったのか、肉体を離れてであったのか、私は知りません。神がご存じです。
12:4 彼はパラダイスに引き上げられて、言い表すこともできない、人間が語ることを許されていないことばを聞きました。
12:5 このような人のことを私は誇ります。しかし、私自身については、弱さ以外は誇りません。
12:6 たとえ私が誇りたいと思ったとしても、愚か者とはならないでしょう。本当のことを語るからです。しかし、その啓示があまりにもすばらしいために、私について見ること、私から聞くこと以上に、だれかが私を過大に評価するといけないので、私は誇ることを控えましょう。
12:7 その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。
12:8 この使いについて、私から去らせてくださるようにと、私は三度、主に願いました。
12:9 しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
12:10 ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
12:11 私は愚か者になってしまいました。あなたがたが無理に私をそうさせたのです。私は当然、あなたがたの推薦を受けてよかったはずです。私は、たとえ取るに足りない者であっても、あの大使徒たちに少しも劣るところはなかったのですから。
12:12 私は忍耐を尽くして、あなたがたの間で使徒としてのしるしを明らかにしました。しるしと不思議と力あるわざによってです。
12:13 あなたがたが他の諸教会より劣っている点は何でしょうか。この私が、あなたがたに負担をかけなかったことだけではありませんか。この不正のことは赦してください。