生活の場に (マルコの福音書 5章1〜20節)
今回はイエス様と悪霊に憑かれた男とが出会う場面です。
聖書は、精神疾患と悪霊憑きとを区別しないわけではありません。対象が病気の場合には セラピューオー(癒す)という動詞を、悪霊の場合にはエクバッロー(追い出す)という
動詞を用いて区別します。また、イエス様を見た時に粗暴になったり挑戦的になったりす ることで、当事者が単なる精神疾患ではないことが明らかになるのです。つまり、聖書に
は悪霊をそれ自体で描写する目的はなく、むしろ悪霊との対峙場面を通して、イエス様が どういうお方かを明らかにする意図があるのです。そういう意味で、今朝は悪霊に憑かれ
た男とイエス様とが出会う場面を通して、イエス様とはどういうお方かを確認したいと思 います。
1.異邦人の地にも福音を届けるイエス様 イエス様はカペナウムからガリラヤ湖を渡って反対側にある「ゲラサ人の地」に行かれま した(5:1)。そこはローマ帝国のシリア総督が治めるデカポリス地方にあり、ユダヤ人
たちには禁忌である豚を大量に飼う人がいた(5:13)ことからも、ユダヤ教とは全く違う 価値観を持つ世界であることがわかります。イエス様とは、そのような場所にも福音を届
けに行かれる方なのです。
2.見捨てられた者をかけがえのない人間として愛されるイエス様
1)数え切れないほどの悪霊に取り憑かれた男 そこでイエス様は一人の男と出会います。レギオンという名を持つ悪霊に憑かれた男 です(5:9)。レギオンとはローマの6000人部隊を指す言葉ですから、この男に取り憑
いていた悪霊は数え切れないほどの数だったと思われます。
2)人々から危険人物視され、心身ともに傷だらけの男 彼が墓場を棲家としていた(5:3)ことに、彼の悲惨さが象徴されています。人々の間
から追い出されていただけでなく、危険人物視されていたことが、彼が鎖と足枷に繋 がれていたことからわかります。ただ、それらの拘束具は誰かが嵌めたのですから、
彼は四六時中暴れ回っていたのではなかったと考えられますが、発作が起こったとき には、彼は鎖や足かせさえも引きちぎり、自らを石で傷つけるほど荒れ狂ったのです
(5:4-5)。言うまでもなく、悪霊憑きではあっても彼の身体は普通の肉体なのですか ら、まさに頭の先から足の先まで血だらけ・傷だらけだったに違いありません。心に
も身体にも深く傷を負った可哀想な人なのです。
3)悪霊がイエスを礼拝する さて、その男はイエス様を見るなり礼拝したと記されます(5:6)。それはもちろん悪 霊に操られてのことですが、悪霊は本気でイエス様を礼拝しているのではなく、イエ
ス様によって滅ぼされないために恭順を装っているに過ぎません(5:7、ルカ8:31参照 )。 そしてこの悪霊は、この男一人だけに取り憑いていたのではなかったようです。レギ
オンはイエス様に「この地方から追い出さないでほしい」と願っていますし(5:10)、 この男が悪霊から解放されて正気に戻った時、それを見たこの地方の人々が「恐ろし
くなった」と書かれているからです(5:14-15)。まことにゲラサ人の地は、巨大な悪 霊集団に汚染された地方だったのです。
4)悪霊を豚の群れの中に 滅びを免れたい悪霊たちは、その場にいた2000匹もの豚に乗り移らせてくれとイエス 様に頼みます。すると、イエス様がそれを許したので、その豚たちは湖になだれ込ん
で死んでしまったのでした(5:12-13)。これは、この一人の男の魂が2000匹の豚やそ の持ち主よりも尊いと言っているのではなく、それほどイエス様は一人の男の魂をか
けがえのないものとして大切にされるということです。
3.生活の場での証を大切にされるイエス様 さて、悪霊を追い出してもらった男は、正気に戻った際にイエス様に「お供させてほしい 」と願い出るのですが、イエス様はそれを許さず、むしろ自分の家・生活の場に帰るよう
に言われたのです(5:19)。それは、中風の男が癒やされた時も(マルコ2:11)、12年の 長血を患った女が癒やされた時も(マルコ5:34)、一度死んだラザロが生き返らせてもら
った時も(ヨハネ11:44)、同じでした。イエス様の弟子になるのはイエス様の側からの 選びによるから(ヨハネ15:16, 19)でもありますが、それとともにイエス様を信じる大
部分の者にとって、その信仰生活の中心舞台は、自らの生活の場だからではないでしょう か。
では、生活の場で信仰者はどうするのでしょう。社会的に成功することや影響力のあると ころを見せろというのでしょうか。今回の箇所でイエス様はこの男に、家に帰ってすべき
こととして、二つのことを証しするように言われました。「主があなたにどんなに大きな ことをしてくださったか」ということと、「主がどんなに憐れんでくださったか」という
ことです(5:19)。「地の塩・世の光」としての私たちは、自分の優秀さや清純さを示す 必要などないのです。主の大きさと憐れみ深さを証しする者でありたいものです。
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マルコの福音書 5章1〜20節
5:1 こうして一行は、湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。
5:2 イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊につかれた人が、墓場から出て来てイエスを迎えた。
5:3 この人は墓場に住みついていて、もはやだれも、鎖を使ってでも、彼を縛っておくことができなかった。
5:4 彼はたびたび足かせと鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまい、だれにも彼を押さえることはできなかった。
5:5 それで、夜も昼も墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていたのである。
5:6 彼は遠くからイエスを見つけ、走って来て拝した。
5:7 そして大声で叫んで言った。「いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。神によってお願いします。私を苦しめないでください。」
5:8 イエスが、「汚れた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
5:9 イエスが「おまえの名は何か」とお尋ねになると、彼は「私の名はレギオンです。私たちは大勢ですから」と言った。
5:10 そして、自分たちをこの地方から追い出さないでください、と懇願した。
5:11 ところで、そこの山腹では、おびただしい豚の群れが飼われていた。
5:12 彼らはイエスに懇願して言った。「私たちが豚に入れるように、豚の中に送ってください。」
5:13 イエスはそれを許された。そこで、汚れた霊どもは出て行って豚に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖へなだれ込み、その湖でおぼれて死んだ。
5:14 豚を飼っていた人たちは逃げ出して、町や里でこのことを伝えた。人々は、何が起こったのかを見ようとやって来た。
5:15 そしてイエスのところに来ると、悪霊につかれていた人、すなわち、レギオンを宿していた人が服を着て、正気に返って座っているのを見て、恐ろしくなった。
5:16 見ていた人たちは、悪霊につかれていた人に起こったことや豚のことを、人々に詳しく話して聞かせた。
5:17 すると人々はイエスに、この地方から出て行ってほしいと懇願した。
5:18 イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供させてほしいとイエスに願った。
5:19 しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」
5:20 それで彼は立ち去り、イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。
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