2025年度   礼拝メッセージ
 
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宣教題
聖書箇所
2025.10.05
稲垣博史師
試練を通して成熟へ
ヤコブの手紙1章1〜4節

聖書のみことば (新改訳聖書2017)  メッセージ  

「その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。」
ヤコブの手紙1章 4節

「試練を通して成熟へ」ヤコブの手紙1章2〜4節 

1 試練にあうことは「この上もない喜び」なのか
 (1)クリスチャンたちはどのような試練を受けていたのか  教会内の社会的立場の違いによる差別(2:1?13)、真の愛が伴わない口先だけの信仰者の存在(2:14?26)、互いの間の悪口やさばき合い(3:1?12、4:11、12)などの問題があり、それは信仰的な試練であったに違いない。
 (2) 主イエスは、試練を喜んで受け止めることを教えられた  「私のために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい」(マタイ5:11~12)。
  (3)使徒ヤコブが語ろうとしていること  ヤコブがここで語っているのは、これは試練だから忍耐しなさい、忍耐が肝心だと身構えることとは違う。試練を避けることなく、主から与えられた訓練として受け止め、試練の只中を通過する中で、自分の信仰がどのような信仰なのかを確認することができ、何が自分に足りないのか、何をどうすればいいのかを主に求めて歩む。それ自体が忍耐のプロセスそのものである。自分の力の弱さを認め、主を信頼して、すべてを委ねて歩むこと、見た目は絶望的であっても、主にはご計画があると主を信頼し、希望をもって生きる姿勢、それが忍耐ではないか。ヤコブが「忍耐を完全に働かせなさい」というのは、その忍耐のプロセスを辛いからとか、しんどいからと言って、途中で投げ出したりせず、いつまでも忍耐のプロセスを継続させなさい、ということであろう。

2 「成熟した、完全な者となる」とは 「完全な者」とは、決してどこにも欠点がなく、罪を犯すこともなく、信仰者として完全無欠な人である、ということではない。旧約聖書の「全き人」という表現に近いと思われる。ノアは「全き人」と言われ(創世記6章9節)、アブラムは「全き者であれ」と言われている(創世記17章1節)。欠点や失敗はあるのだが、「神とともに歩み」、「主の前に歩む」人が「全き人」なのである。信仰に生きる者は聖書の示す人間のあり方を教えられている。私たちは、個人生活においても、また社会生活においても、「全き人」として育てていただける特権をいただいている。

  結語  様々な試練の中に私たちは置かれている。試練、試みのとき、それは信仰者として成熟した、「全き人」とされる機会を神が備えてくださったのだと積極的に受け止め、神の前に歩み続けるものでありたい。星野富弘さんが、このような詩を書いている。

冬があり 夏があり

昼と夜があり

晴れた日と雨の日があって

ひつの花が咲くように

悲しみも苦しみもあって

私が私になっていく

 

ヤコブの手紙1章1〜4節

1:2 私の兄弟たち。様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。
1:3 あなたがたが知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。
1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。