2025年度   礼拝メッセージ
 
月日
宣教者
宣教題
聖書箇所
2025.10.12
白石剛史師師
光と闇と影
マルコの福音書5章25〜34節

聖書のみことば (新改訳聖書2017)  メッセージ  

「イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」
 マルコの福音書5章34節

 「光と闇と影」 マルコの福音書5章25-34節

今回は、12年もの間出血が続く病に悩んで来た女性が、イエス様によって癒やされる場面 です。大きな苦しみに押しつぶされそうになっていた彼女が、イエス様と出会ったことに よって心身共に健やかにされる出来事を通して、イエス様がもたらしてくださる救いの豊 かさを確認したいと思います。

 序.女性の年齢 この女性は「女の人」(ギュネー)とも「娘」(スュガテール)とも呼ばれているので、 その年齢は特定できませんが、何重にも重なる苦しみを抱えていたことは確かです。

 1.この女性が抱えていた苦しみ
  1)肉体的苦しみ・・・彼女の出血の原因を聖書は記しませんが、腰・腹部の痛みや貧血 などの症状が長期間続き、体力的にかなり消耗し日常生活に支障をきたしていたことは十 分に想像できます。
  2)精神的苦しみ・・・健康体であっても生理の時など、女性は精神的に不安定になると 聞きます。それが病気で、しかも12年間もの長期間となれば、将来の結婚も恋愛も社会生 活も見通しを立てることができず、不安とイライラは想像を超えるものだったことでしょ う。
 3)宗教的・社会的苦しみ・・・さらに彼女がユダヤ社会で生きていたことは、より一層 の苦しみをもたらしたはずです。ユダヤ社会では漏出を病む者は汚れた者とされ、寝床や 座った場所さえ汚れるとされました(レビ15:19-23)。彼女に触れることさえ人々は避け たのですから、今日のコロナ感染者以上に隔離された生活を強いられたでしょうし、会堂 や神殿にも入れてもらえなかったはずです。本来なら、こういう人ほど神様からの恵みを 受け取れなければならないはずなのに、その機会すら与えられなかったのでした。
  4)医者から加えられた苦しみ・・・彼女は「多くの医者からひどい目にあわされた」と 書かれています。医療行為と称してセクハラされたり、必要以上のケアをされて割増料金 を取られたりしたことは十分にあり得ることです。それでも彼女は良くなりたい一心であ らゆる医者を訪ね、薬を買い求め、持っているものすべてを使い果たす結果になったにも かかわらず、病状は良くなるどころかむしろ悪化したというのです(5:26)。何という可 哀想な女性でしょうか。

2.イエス様との出会い
 そんな彼女がイエス様のニュースを聞きます。彼女の親族や友人が知らせてくれたのでし ょう。彼らは彼女を取り囲むようにして、群衆に紛れてイエス様のところに連れて行った のだと思われます。そして彼女はイエス様の後ろからそっと近寄り、衣の端に触れたので す(5:27-28)。今まで、自分の衣に人が触れるだけでその人が汚れると教えられて来た 彼女ですから、逆に「イエス様の衣にでも触れるなら自分は汚れから清められ癒やされる 」と信じていたことは十分理解できる発想です。
  彼女が予想した通り、イエス様の衣に触れると病はただちに癒やされました。イエス様も ご自身から力が出て行くことを感じて、「誰が触れたのか」とその人を探します。そして 名乗り出た彼女に対して、イエス様は「衣が癒したのではなく、あなたの信仰があなたを 癒した(救った)のだ」と、はっきり教えられたのです(5:34)。

  3.聖は汚れより強い ここでの「信仰」とは、どのような意味での信仰なのでしょうか。イエス様の十字架はま だ先ですから、イエス様による贖いへの信仰ではなく、それは「メシアだと噂のあのイエ ス様の衣にでも触れれば、私は救われる(癒やされる)」という信仰だったと言えます。
  律法主義は、一点の律法不履行が全体の不履行を意味すると教えます(ヤコブ2:10)。し かしイエス様が示されたのは、一点の聖さがすべてを聖くするという神様の視点でした( エレミヤ5:1参照)。
  ヨハネ福音書はイエス様の誕生のことを記して、「光は闇の中に輝いている。闇はこれに 打ち勝たなかった。」(1:5)と言います。闇はそれ自体が実体のあるものではなく、光 がないことを闇と呼ぶに過ぎません。光が来ていても暗い部分はありますが、光がある中 での暗い部分はもはや闇とは呼ばれず影と呼ばれます。
  それと同じで、汚れはそれ自体が実体のあるものではなく、聖がないことを汚れと呼ぶの です。聖がある中では汚れはもはや汚れではなく、弱さ、不十分さ、不完全さ、欠点など と呼ばれるようになるのです。
  私たちは自分の弱さ・不十分さ・欠点などに落胆する必要はありません。聖なる方が共に いてくださるなら、それらはもはや汚れではないのです。汚れを覆い尽くし、「安心して 行きなさい」と言ってくださるイエス様の聖さへの信頼を忘れないでいたいと思います。

マルコの福音書5章25〜34節

5:25 そこに、十二年の間、長血をわずらっている女の人がいた。
5:26 彼女は多くの医者からひどい目にあわされて、持っている物をすべて使い果たしたが、何のかいもなく、むしろもっと悪くなっていた。
5:27 彼女はイエスのことを聞き、群衆とともにやって来て、うしろからイエスの衣に触れた。
5:28 「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思っていたからである。
5:29 すると、すぐに血の源が乾いて、病気が癒やされたことをからだに感じた。
5:30 イエスも、自分のうちから力が出て行ったことにすぐ気がつき、群衆の中で振り向いて言われた。「だれがわたしの衣にさわったのですか。」
5:31 すると弟子たちはイエスに言った。「ご覧のとおり、群衆があなたに押し迫っています。それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。」
5:32 しかし、イエスは周囲を見回して、だれがさわったのかを知ろうとされた。
5:33 彼女は自分の身に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、イエスの前にひれ伏し、真実をすべて話した。
5:34 イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」