試みを受けるため マタイの福音書4章1〜11節
序 主イエスが御霊に導かれ荒野において悪魔の試みを受けられた。 荒野は安楽さをはぎとった場所であり、そこで神のことばを聴く場所であった。
私たちの人生も荒野のようであり、神に導かれつつ試みを受けて進んでゆくのではないか、またここまで歩んできたのではないか。
1. 成果を欲する試み
「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」 成果をあげることこそが人生の目的だという誘惑の声が響いてくる。 人生をふりかえると、自分はいったい何をしてきたのだろうかという思いにもなる。
自分は何を求めてきたのだろうか。
2. 神を試そうとする試み
神殿の屋根の端に立たせて、「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。」 神はきっと神の子であるあなたを守ってくださるだろう。 神を試めしてみたいという自己本位な行動へと誘われることがある。
人生をふりかえって、大きな失敗や挫折を思い起こす時、なぜ神はあの時私を止めてくださらなかったのか、なんであんなことをしてしまったのか。
自分を裁き続け、自分を決して赦せない、自分の悔いを手放すことができないのは、神をやはり試しているのではないのか。
3. 栄光を求める試み 悪魔はこの世のすべての栄光を見せて、「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」と言った。 自分にはもっと何かができるはずだ、もっと人々から関心を向けられ、もっと賞賛を受けるべきなのに…。
こんなことで終わりたくないとの未練から解放されない。 人生の目的は、自分が褒められることではなく、神の栄光が讃えられることであり、神に仕えることではなかったのか。
4. まとめ キリストのゆえに神に愛されている者として、私も試みの荒野を通ってきた。 それは何のためだったのか。ふりかえってみたい。
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マタイの福音書4章1〜11節
4:1 それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
4:2 そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。
4:3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」
4:4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」
4:5 すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、
4:6 こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」
4:7 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」
4:8 悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、
4:9 こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」
4:10 そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」
4:11 すると悪魔はイエスを離れた。そして、見よ、御使いたちが近づいて来てイエスに仕えた。
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