私たち 主イエスから目を離さない (ヘブル人への手紙12章1〜3節)
ヘブル12章冒頭を見ます。この手紙には13か14くらいの勧めがありますが、今日の箇所はその中でも代表的な箇所です。この勧めをしたくてこの手紙は書かれている、とも言えます。
1、多くの証人たち。
この手紙は、各地に散っておそらく試練にも遭っているユダヤ人クリスチャンに対して、 旧約聖書のあちこちを引用しながら信仰の励ましを与えています。中心にあるのは、旧約に予告され、実際に歴史上においでくださった救い主イエス・キリストがどれほどすばらしいお方であるかを伝えることです。今日の箇所の勧めには、スポーツ競技の例が用いられています。実際の本番のレースと、そこに至る練習、訓練、トレーニングなどです。そうした競技の例が用いられて、私たちの人生という一度限りのレースが説明されます。
そのレースで私たち競技者は「多くの証人たち」に囲まれています。これは言うまでもな <11章で挙げられていた旧約の信仰者たちです。さらに今の私たちからすれば、新約時代の信仰者たちやキリスト教会2000年の歴史に無数に登場した信仰者たちのことも入ります。そうした先輩信仰者たちが自分のレースを走り終え、観客席に回り、からかうのではなく、応援しています。「がんばれ。私たちも同じ経験をしたのだ」と励ましているのです。
U、身軽さと忍耐。
そのレースを走り抜くために、私たちは第一に身軽にならなければなりません。私たちの人生のさまざまな重荷や煩いごとを捨て、罪から離れなければなりません。罪は生きているかぎり嫌でも私たちに絡みついてきますが、それらを悔い改め、キリストによって赦されていることを確認し、身軽になって、もう一度走り出さなければならないのです。
さらに、忍耐も必要です。今日願うことが明日実現するわけではないからです。旧約時代の信仰者たちもそうした忍耐をもって生涯を送りました。
V、ゴールで待っておられる主イエス。
そして、人生というこのレースは、キリストから始まり、キリストを模範として、キリストに支えられて、ゴールにおられるキリストに向かって走っていくレースです。キリストが創始者として、十字架上の贖いのみわざによって救いの道を開き、競技場のトラックを整え、
私たちが信仰のレースを走ることのできるようにしてくださいました。私たちの信仰の人生という長距離レースは、このお方の「用意、スタート!」との掛け声で始まったのです。
「創始者」という語は「指導者、導き手」とも訳すことのできる語です(新改訳2017の欄外注「別訳『指導者』」)。キリストは信仰のレースの創始者であられ、同時にそのレースを見守り、競技者たちが支障なくレースを走ることができるように必要な一切を整えてくださっておられるお方です。そしてゴールで待ち構えておられるのもこのお方です。そのイメージが直接示されているわけではありませんが、「完成者」という表現のうちに含まれていることでしょう。
(結) キリスト教会最初の殉教者ステバノは殺される直前に、立ち上がっておられるキリストのお姿を見ました(使徒7:55〜56)。
信仰者が人生というレースを走り終えてゴールに駆け込むのを主イエスは両手を広げて待っていてくださることに私たちが期待してもよいのでしょう。主イエスを見上げつつ、人生という信仰のレースを走り通しましょう。