アッシジローマ
訪問先  
 
南イタリア(ナポリ、ポンペイ、ポツオリ)
 バスは、高速を南下して3時間 最初に訪れた街が、古代都市 ポンペイ AD62年8月25日12:30 ベスビオス火山が爆発し、ポンペイの町が全て火山灰(7m)で埋まってしまった。
爆発前のベスビオス火山は1800m 山頂が吹き飛んで、1281mになった。
以後、1700年のポンペイ発掘まで判らなかった。現在町全体の70%の発掘されている。発掘の状態のままを維持している。
当時のポンペイの町は、港町で、玄武岩の敷石、道路は馬車が通っていた。(わだちが残っている。) 古代ローマのモデルとなったゼウスの神殿を中心として、周りに市役所、裁判所、市場、サービス産業(宅配便、アスレチック)住居、仲見世通り、娯楽施設等が完備していた。

街の中は、アスレチック、お風呂(沸かし湯)、図書館、サウナなどが設備されていた。

上下水道が完備していた。上水道はメリクリ/兎の口から水が出ており、下水を通って海に流されたいた。

市場には、壁があり、ポンペイ赤(ペンキ)で塗られていた。壁画には、魚、パン、鶏、卵、水がめ、ワイン、油など市場で売られていたものが描かれていた。絵は、窓から見た景色で、遠近画法が用いられていた。

 


豪邸の庭 航海の絵が壁に描かれている。

モザイクが海の神の絵が描かれている
今まで、栄えていた大都市(人の命)も、一瞬にして滅亡してしまう有様を見た当時のポンペイには、サウナの前に酒場,パン屋は、25軒、小さな街であったが繁華街があった。水洗トイレが完備しており、海面でお尻を拭いていたそうだ!

人体などの石膏像=遺跡の穴に石膏を流し込み、人体などの型取りがされた(中に骸骨が残っている)。死亡原因は火山ガスの窒息死。生きたままの姿で、火山灰がつもりそのまま、肉体が腐ってしまって、穴が残った。

 ポンペイの入口/出口は海に面しており、港町として反映した。 カメリオの加工 工場がポンペイの遺跡の出口の所にあった。その前のレストランで、昼食スパゲッティ
ポツオリ

パウロがイタリヤに上陸した場所(港)に教会があった。

 

ポツオリ
 
 使徒言行録 28章11〜16節
 温泉の町 地盤沈下で都市が沈み海の中に沈んだ遺跡もある。

海に突き出た、卵城(サンタ・ルチア)


ナポリ市内、近寄ってくるひとに(泥棒、強盗)注意すること

ローマ帝国がキリスト教を、公認
1)ポンスタンチヌス帝王、キリスト教を政治的に利用した(母へレナの祈り)
2)アウグスチヌス帝王、キリスト教を公認(母モニカの祈り)
  現代:キャサリン・ブス   
    セザンヌ・ウェスレー   妻: 祈りが世界を変える。
ナポリを通って、ローマに帰る。ローマのレストランで食事、流しの歌歌いが各テーブルにきて、リクエストに応えていた。
     
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