真実の目
イエスさまの弟子 随想へ石の涙

   聖書の言葉 ルカによる福音書24:13-35

 @人生の下り坂
エルサレムから11km西の方に下っていったところに、在ったと言われるエマオは、エルサレム(標高約800m)からは下り坂の途中に在る。華やかだった過去の生活から、下り坂をトボトボと降りている二人と自分が重なる。

(13節 ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、)
 A暗い、絶望の人生
今まで最も頼りにしていた、お金や、地位、名誉が一瞬の内に崩れ去り何もない状態に置かれた人。私たちはなんとおろかなんだろう、生きていないものを頼りにして生活をしているなんて!。
(聖書の記事に出てくるイエスさまの弟子二人は、生前のイエスさまを頼りにしていた。・・・「復活のイエスさま」を事実として信じられなかったものと思われる。・・・わたしたちも同様)

(17節 二人は暗い顔をして立ち止まった。)
 B人生の黄昏時
 私たちは、この肉体の終わりをむかえなければならない時が有ります。こんな絶望的なわたしのところにも、一方的に希望が訪れて下さいました。ところがこのわたしは、その方が「復活のイエスさま」だとはわからなかった
  (29節 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」)
 私たちは、目の前で行われていることがどう言う意味かよく分からないようです。このわたしは復活のイエスと一緒に、礼拝、聖餐式、賛美、祈りをした時に、本当のことが分かりました。 (15節 イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。16 節 しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。)
 真実が見える目が与えられ、人生が変えられる為の秘訣がここにありました。  イエスは今も生きていて、私のそばにいて助けて下さっている、特に落ち込んだ人生を送っているわたしのところに一方的に来て下さる。
 ここで、このわたしは希望を与えられすぐに行動を起こしました。暗い坂道を駆け上ったのです。希望の光は他の人たちにも訪れて下さいました。
(30 節 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。31 節 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。) (33節 そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。)